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集団的自衛権行使容認に反対する――谷口雅宣先生の見解


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今回の、安倍政権による集団的自衛権行使容認については、生長の家総裁の谷口雅宣先生の文章が、一番、妥当であると思うので、私の見解をともに掲載する。

以下は、谷口雅宣先生のブログ「唐草模様」に連載された「憲法軽視で「法の支配」をいうなかれ」からの引用と、それに関しての私見である。

 ある種の国は、武力を使うための足枷が多くある国に対しては、チョッカイを出しやすいが、すぐにでも武力を使う用意のある国には、チョッカイを出しにくいということだ。日本は自衛隊発足後60年の今日まで前者の国だったが、これからは後者の方向へ動き出すことになる。

 「生長の家としてはどう考えるか?」と質問されそうだが、答えはそう簡単でない。理由は、この問題には、①生長の家の運動における歴史的経緯、②政治レベルの解釈、③宗教としての解釈、など複雑な要素がからんでいるからだ。
ここまでは、一般論である。


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では、雅宣先生はどう考えておられるのか?
歴史的には、谷口雅春先生の時代には、「大日本帝国憲法復元改正論」を明確に唱えていた。これをごく簡単に言えば、「現憲法は占領下に強制的に押しつけられたものだから、本来無効であり、日本の首相は速やかに無効を宣言して旧憲法を復元し、その改正によって自主憲法を制定すべし」というものだ。軍隊をどうするかという点では、「現憲法第9条自衛権も否定しているから破棄すべきものだ」と考えられていた。ところが歴代の日本の(自民党の)首相は、「憲法第9条自衛権を否定していない」という解釈を打ち立て、それを維持してきたので、雅春先生とは意見が異なっていた。雅春先生が現憲法に反対された理由は、第9条に問題があると考えられたからだけではない。前文を含んだ日本国憲法の精神そのものが、日本の伝統を否定し、肉体民主主義を謳歌するものだと考えられたからである。この問題に関する当時の先生のご著書の題名を見るだけで、先生の現憲法否定のお考えが伝わってくるだろう--『占領憲法下の日本』(1969年)、『続 占領憲法下の日本』(1970年)、『占領憲法下の政治批判』(1971年)、『諸悪の因 現憲法』(1972年)。生長の家が政治運動を熱心にしたのは、こういう「現体制批判」の考えからだった。
これらの雅春先生のご著書の一部は、私の愛読書であり、小学生のころからよく読んでいたものである。
今の安倍政権は、そして、歴代自民党の政治家の圧倒的多数は、「憲法第九条」ばかりにとらわれて、もっと大きな問題を見落としているのではないであろうか?

  そういう過去の歴史的立場から見れば、今回の安倍首相の行動は、拡大解釈によって憲法第9条を実質的に骨抜きにしようとの意図が明らかだから、自衛隊の機能拡大を除いては、戦後日本の民主主義体制そのものを維持する「現体制温存」を選択したのである。「現体制を形骸化し、実質的に無視してしまえば、それでいい」と考える人がいるかもしれないが、私はそう思わない。無視するものがヤクザの規則や、町内会の取り決めであれば、さほどの弊害はないかもしれないが、国家の基本を定める憲法の、しかも万が一の時の国の防衛をどうするかという重要な決断を「定められた通りにしない」という前例を作るのである。それを、一国の首相が国民の面前で堂々と実行するのが“日本を取りもどす”方法だというのである。法学部出身の私としては、こんな乱暴な法律無視がまかり通るなら、法治国家としての日本の将来は大変暗いと考える。 

 ここで補足させていただくと、本当に「憲法解釈の変更」を行うのならば、まずは、「『日本国憲法』の地位の解釈の変更」からすれば、どうか。

つまり、「『日本国憲法』は憲法としては無効だが、講和条約としては有効」という「憲法無効論」の立場に立つわけである。

はっきりいって、自衛権云々というのは、大事な問題ではあるけれども、わが国の国体の伝統や、立憲主義法治主義と比べると、小さな問題である。雅春先生や雅宣先生の言われる通り、「前文を含んだ日本国憲法の精神そのもの」が、問題なのであって、それは、「憲法九条の解釈変更」といった、姑息な方法では解決しない。

「姑息」という言葉の本来の意味は、「卑怯な」ではなく、「一時しのぎの」という意味らしいが、まさに、安倍政権にぴったりの言葉である。

一時しのぎの屁理屈を並べたところで、「法治国家としての日本の将来は大変暗い」というより、「極めて危ない」と思う。


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 次に、政治レベルの問題を語ろう。ただし、これは多岐にわたることなので、この場ではごく一部--国際政治に関することだけを取り上げる。それは、「解釈変更がなぜ今か?」という問題とも関連する。私は、安倍首相の今回の動きは、個人的信念にもよるだろうが、アメリカの外交政策と密接に関係していると感じる。読者もご存じのように、9・11後のアメリカは、アフガニスタンイラクへの派兵で疲弊し、中東とヨーロッパから軍隊を引き揚げつつ、アジアに軸足を移す決断をした。従来のアメリカは、世界で2つの地域戦争を戦えるような軍事力を維持することを国の方針としていたが、それではあまりにもコストがかかることを知り、最近、地域戦争の実行力は1つにしぼり、あとは兵器の近代化と、ハイテク装備の軍隊を迅速に展開する方法を採用するなど基本的な戦略転換をした。また、9・11の経験から、今後の自国への脅威は、国家としての敵よりもテロ組織になると判断しているようだ。そんな中で、アジアへ軸足を移す理由は何か。それは、きっと北朝鮮と中国があるからだ。特に、北朝鮮は、現に核兵器を開発してアメリカ西海岸を狙うと明確に脅している。中国は、アメリカに次ぐ経済大国であり、かつ核保有国であり、近年は貿易や資本関係でアメリカ経済と密接につながっている。

やはり、今回の解釈変更には、アメリカの意向もあるのだろうが、それにしても、アメリカには「お前たちが押し付けた憲法だろ!」と突っ込みたくなる。

  自国の基本法である憲法の規定を軽視しておきながら、国際法にのっとって行動することが、どうして法の支配を重視することになるのか? この重大な矛盾とゴマカシは、きっと将来に禍根を残すことになるだろう。力に任せたこういう強引なやり方を、2日の『朝日新聞』は「解釈改憲」という言葉で批判しているが、私もそれが実態だと思う。

 
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