「神命の書」について
先ほど、いきなり、大熊良樹先生のブログ記事を転載したので、事情を知らない方が見ると無用な(そして、不本意な)誤解を受けるかもしれませんから、まず、最初に言っておきますと、私は、いわゆる「教団派」の人間であり、谷口雅宣先生に中心帰一して、国際平和信仰運動・自然とともに伸びる運動を推進していくことこそが、日本国実相顕現への道であるということを、確信する者であります。
先ほど転載したブログには、大熊先生が元青年会会長の谷口貴康様の名前を出されていますし、大熊先生と貴康様に親交があることは知っております。
しかし、ここでは、私と、大熊良樹先生や谷口貴康様との立場の違いについて、一々書く気はありません。
その理由は、大きく二つあります。
(1) 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、現在、「対称性の考え方」(=共通点に注目する生き方、考え方)が大切である、と言われています。
なので、私がここで、大熊先生や貴康様との見解の相違を大きく出すことは、御教えに反することになります。
(2) 生長の家の真理は、インターネット上で不特定多数に説くのには、不向きです。私は生長の家の光明実践委員でもないわけであり、『生命の実相』の宗教戯曲篇をお読みになるとお分かりいただけると思いますが、真理はどこで、どうといてもいいわけではありません。
自分の「我の心」で、「不特定多数」に、相手を批判する目的で真理を発表することは、「イスカリオのユダ」と同じ道を歩むことになります。
生長の家は、立教当初から「人類光明化運動」を掲げてきたわけですが、そこには、優生学と唯物主義でゆがめられた医療界の是正、私の言う「医療利権複合体」の問題の解決があったことは、皆様にもご理解いただけると思います。
チャールズ・ダーウィンの進化論から始まる、「神殺しの思想」といわれた、優生学を中心とする一連の似非科学思想体系、「肉体の子・人間」「物質の子・人間」という考えが迷妄に過ぎないことを説かれたのが、大聖師・谷口雅春先生なのです。
そして、生長の家総裁・谷口雅宣先生も、その立場を、引き継がれています。雅宣先生は、ご著書『神を演じる前に』で、生命操作の時代への警鐘を鳴らされました。
そもそも、生長の家政治連合が結成された最大の理由は、『優生保護法』の廃止、即ち、「反優生学・堕胎禁止」を訴えて、生命尊重の国家をつくろう、というものであり、生政連が活動停止となったのも、『優生保護法』の廃止を、自民党政権が全く取り合わなかったからです。
生命倫理尊重は、生長の家の立教の使命といっても過言ではなく、この意味において、雅宣先生と大熊先生とは同じ志を持っていると、私は確信しております。(無論、お二人の主張・考えのすべてが表に出ているわけではないでしょうけど、私が雅宣先生と大熊先生の生命倫理問題に関するブログ記事を見たところ、お二人の主張に矛盾する点はありませんでした。)
組織運動としては、地球環境問題は喫緊の課題です。地球を守ることは、個人が祈っただけではなかなかできません。50万人の生長の家信徒の力をフル動員させる必要があります。
これは、谷口雅春先生が発表された、いわゆる「神命の書」です。
現在、日本では「自称・保守派」の中にも、堕胎を容認する人が増えています。その背後には、医療利権複合体が自民党の最大の支持母体であることが関係しています。
私は、教団の組織運動を第一に行うつもりですから、私の目指す真正保守の政治勢力、地球環境保全と生命倫理尊重を訴える保守勢力がいつ誕生するのかは、わかりません。ただ、それが10年後にせよ、20年後にせよ、私はそうした流れの結成に大いに協力させていただくつもりであり、そのために、今も、同志を集めているところです。
「道義の上に立たない国は滅びる」――これは、雅春先生の持論でした。堕胎禁止法の早期制定が、急務なのです。
★過去の私のブログ記事★
高校1年生のころから、もっと正確に言うと、中学生のころから、私は堕胎禁止論を訴えていました。
いまでは、堕胎禁止をSNSで行っても炎上しないほどに、ここ数年でネット世論は変わってきました。私の所属高校では、生命倫理に関するアンケートで、約4分の1の生徒が「いかなる場合でも堕胎は許されない」と回答しており、私たちがこれまで活動してきたかいがあった、と思いました。
そうした、私の過去のブログ記事の、主なものを紹介します。
それでは、皆様、これからもよろしくお願いします。