ハングル文字の原型は日本にあった!?――暴走若人の歴史再考<1>
現在、日本では「漢字」「平仮名」「カタカナ」の三種類の文字を使っています。
しかし、実は、もっとたくさんの文字が、古代日本では使われていた、というと、どう思われるでしょうか?
そして、その中に、お隣の朝鮮半島で使われている「ハングル文字」の原型となる文字があったとしたら・・・・?
教科書には載せられない真実の歴史を暴く、「暴走若人の歴史再考」の初回は、まず、私の師である竹下義朗先生の論考を紹介した後、私自身の意見と解説を載せます。
ハングル。朝鮮語で「大いなる文字」と呼ばれるこの文字は、かつて日本同様、漢字のみを筆記文字に使っていた朝鮮人が、朝鮮固有の文字を持とうと言う事で、李朝(李氏朝鮮)の世宗大王の時代に考案し、1446年、「訓民正音」の名で公布したものです。このハングル、10の母音字と14の子音字(当初は諺文(オンモン)と呼ばれ、母音字・子音字合わせて28文字あった)からなる音標文字-つまりアルファベットで、欧米人から「世界でもっとも合理的な文字」と賞賛されたもので、現在、朝鮮半島で使用されており、韓国・朝鮮人の誇りです。しかし、このハングルが日本人によって作られていたとしたら、どうでしょう? 今回はハングルと日本との関わりについて取り上げてみたいと思います。まず、私が疑問を持ったのは、世宗大王の勅命で発動したプロジェクトが、なぜ短期間に、あの様に理路整然とした合理的な「文字」を「創造」できたかです。一口に、文字と言っても、漢字に代表される「表意文字」系と、アルファベットに代表される「音標文字」に分類されます。例えば、表意文字の場合、「口」と言う漢字は口の形、「手」と言う漢字は手の形から作られ、その一文字で一つの物を表記する事が可能です。それに対して、音標文字は母音字・子音字単体ではほとんど用をなしません。母音字と子音字の様々な組み合わせによって、はじめて「音」を表す事が出来、それらの様々な組み合わせで「単語」を表す事が出来るのです。
表意文字と音標文字
表意文字(例:漢字) 目 鼻 耳 口 手 足
音標文字(例:アルファベット) abcdefghijklmnopqrstuvwxyz
話のそれついでにもう一つ。「ハングル」の様にその国独自の文字を作った例は多数あります。しかし、それらはほとんどが既製の文字に手を加えて作られた物ばかりなのです。
文字の伝播
漢字(中国)┬契丹文字(10世紀)─女真文字(12世紀)
├西夏文字(10世紀)
└チュノム(ベトナム 14世紀)そこで、ハングルはどうかと言うと、その「お手本」となる文字が無いのです。「お手本」となるべき文字が無く、今まで漢字と言う「表意文字」を使っていた朝鮮人が、なぜ、「音標文字」と言う全く異なるシステムの文字を「創造」出来たのでしょうか? 私には不思議でたまりません。そんな中、「お手本」となった可能性のある一つの文字が浮かび上がったのです。その文字の名は「阿比留文字」(アヒル文字)と言います。
阿比留文字。この聞き慣れない文字は対馬の占部阿比留(うらべ-あびる)家に伝えられた神代文字(古代日本の文字)です。まずは、下表の阿比留文字と冒頭のハングルを見比べてみて下さい。
阿比留(アヒル)文字 五十音表
ン ワ行 ラ行 ヤ行 マ行 ハ行 ナ行 タ行 サ行 カ行 ア行 ア
段イ
段ウ
段エ
段オ
段どうでしょう、似てはいないでしょうか? これまでも両者の類似については幾度と無く言われてきましたが、日本の史学界が「阿比留文字」の存在自体を認めない事(漢字伝来以前、日本には固有の文字がなかったと言う頑迷)と、「阿比留文字」はハングルを模倣して作られた「贋作」と言う烙印によって、否定されてきました。しかし、両者をよく観察してみると、否定するには幾つかの疑問が残るのです。
第一に、「阿比留文字」は右側(漢字の「旁」に当たる部分)に母音字、左側(漢字の「偏」に当たる部分)に子音字を配置する「二次元」構成を取っています。対する「ハングル」は左右・上下配置の他に、三つの字母を配置する複雑な「三次元」構成を取っています。つまり、「ハングル」の方が「阿比留文字」の字母構成法よりも、明らかに「進化」していると言えるのです。こう考えると、「阿比留文字」が「ハングル」を模倣して作ったと言うよりも、むしろ、「ハングル」が「阿比留文字」を模倣して作ったと言う方がより自然なのです。
第二に、「阿比留文字」が伝えられてきた場所にあります。「阿比留文字」は対馬の占部阿比留家に伝えられてきたと書きました。その対馬は地図を広げれば分かりますが、朝鮮半島の目と鼻の先にあるのです。又、かつて対馬を支配していた宗氏の様に、朝鮮と独自のコネクションを持ち、日朝間の国交を仲介した歴史もあります。更に時代を遡ると、邪馬台国の時代に「対馬国」として描かれ、対岸の「狗邪韓国」と交流していたであろう事も推察できます。つまり、対馬は常に朝鮮半島と交流を持ってきた訳で、対馬に伝わる神代文字が李朝に伝えられた事も十分に考えられるのです。
そこで、対馬に伝わる「阿比留文字」が李朝に伝えられたとしましょう。すると、どうでしょうか。世宗大王のプロジェクトが短期間に「ハングル」を「創造」出来た事も納得がいくのです。「阿比留文字」と言う音標文字を「お手本」にして、自分達の使い易いように改良を加えた・・・。こう考えてこそ、「ハングル」誕生の謎が解けると思うのですが・・・。
(竹下義朗帝國電網省より)
如何でしょうか?
朝鮮の歴史書によると、 ハングル文字はわずか「三か月」で作られたそうですが、そうだとすると、なんらかの「原型」があったはずです。
実は、ハングル文字を作った学者の一人である申叔船は、『海東諸国記』という暦所の著者でもあります。
日本ではあまり知られていませんが、この『海東諸国記』は日本と琉球について記された歴史書で、この古文書から『古事記』や『日本書紀』には記されていない、古代史の真相が明らかになるのです。
そのことについては、又後程述べましょう。
さて、ここで出てくる「阿比留文字」ですが、これは江戸時代に平田篤胤が「これこそ神代の文字に相違ない!」として、「神代文字」と名付けました。
しかし、この主張はすでに、平田篤胤の歴史観が評価されていた戦前から否定されてきました。
なぜなら、神代(今でいうと「天皇家誕生前」だから、弥生時代や縄文時代!)から使われていた文字が、そう簡単に失われるはずがないというもので、確かにそれも正論です。そもそも、縄文時代から日本人が文字を使っていたとは、誰が信じるのでしょうか?
一方、今でもフィリピンの未開部族が独自の文字を使用しているなど、原始人が文字を持っていても、それほど不思議ではない、という意見がありますが、それは少数派です。
私は、この「阿比留文字」については、「縄文時代(神代)から伝わる、神々の文字」というニュアンスである「神代文字」ではなく、「古代の輪国でも使われていたかもしれない文字」という意味で「古代倭字」として研究するべきだと思います。
さて、ハングル文字を作った朝鮮の申叔船が日本について書かれた歴史書である『海東諸国記』についてですが、これには「倭国年号」或いは「九州年号」と呼ばれる、日本最古の年号とされる「大化」や「大宝」よりはるかに古い「古代年号」が我が国で使われていた事が記されています。
元 年 | 海東諸国記 | 如是院年代記 | 麗気記私抄 | 九州年号 | その他 |
---|---|---|---|---|---|
522 | 善化 | 善記 | ← | ← | |
526 | 正和 | ← | ← | ← | 正和通宝(孔方不知品より) |
531 | 発倒 | 教倒 | 殷倒 | ← | 発例・定和・常色・教知 |
536 | 僧聴 | ← | ← | ← | |
541 | 同要 | 明要 | ← | ← | |
552 | 喜楽 | ← | ← | ← | |
554 | 結清 | 法清 | 清清 | 法清 | |
558 | 兄弟 | ← | ← | ← | |
559 | 蔵和 | 蔵知 | 蔵和 | ← | |
564 | 師安 | ← | 師要 | 師安 | |
565 | 和僧 | 知僧 | ← | ← | |
570 | 金光 | ← | ← | ← | |
576 | 賢接 | 賢称 | 賢棲 | ← | 賢輔・賢博 |
581 | 鏡当 | 鏡常 | 鏡常 | 鏡鐘 | |
585 | 勝照 | ← | 勝照 | 照勝・和重 | |
589 | 端政 | 端改 | 端政 | ← | |
594 | 従貴 | 吉貴 | 告貴 | 吉貴 | 法興(伊予国風土記より 後述) |
601 | 煩転 | 願転 | 願転 | ||
605 | 光元 | 光充 | 光元 | 弘元 | |
611 | 定居 | ← | 定居 | ||
618 | 倭京 | 和景縄 | 倭京 | 和京縄・和京 | |
623 | 仁王 | (ナシ) | 仁王 | 一説に「仁王」の次に「節中」あり | |
629 | 聖徳 | ← | ← | 聖聴 | |
635 | 僧要 | ← | (ナシ) | 僧要 | 僧安 |
640 | 命長 | ← | (ナシ) | 命長 | 明長・長命 |
645 | 大化 | ||||
647 | 常色 | ← | (ナシ) | 常色 | |
652 | 白雉 | ← | (ナシ) | 白雉 | 中元 |
661 | 白鳳 | ← | (ナシ) | (ナシ) | |
朱雀 | |||||
白鳳 | |||||
684 | 朱雀 | ← | (ナシ) | 朱雀 | 果安 |
686 | 朱鳥 | ← | ← | ||
大化 | (ナシ) | ||||
695 | 大和 | (ナシ) | (ナシ) | 大和 | 大和通宝(孔方不知品より) |
698 | 大長 | ← | (ナシ) | 大長 | |
701 | 大宝 |
註・・・太字の年号は、『日本書紀』に出現するもの。ただし、「大化」は出現しない。
この年号群は、一体何者なのでしょうか?
それについては、次回で述べさせていただきます。