すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

『法華経』とアニマルライツと「天皇国・日本」の実相顕現

 宗教と言うのは、自分だけが救われるためにあるのではないのである。自分だけが救われたいのであれば、自己啓発書を讀むか、霊能力を身につけるか、或いはもっと科学的に経営学や栄養学を学んで富貴と健康とを手に入れるか、をすれば良いのであって、宗教の出番はないのである。

 また、「自分はこうして救われた、貴方もこうすれば救われる」と言うレベルに留まっているのは小乗の教えであって、それでは自己啓発セミナーと何ら変わる所はないのである。

 宗教家と言うのは、自分とその弟子と、せいぜい自分たちの教団に寄付をしたものとに「功徳」を与える、というものであってはならないのだ。無論、そういう小乗の宗教家も真理を説いてはいるものの、それでは一切の衆生を救うことはできないのである。

 大乗の教えとは、一切の衆生を救うことである。イエス・キリストは隣人愛を説き、異教徒にも愛を与えることを説いたのであるが、これはキリスト教が大乗の教えであるからである。

 もっとも、クリスチャンとて人間だけの救済に留まっている限りにおいては、まだまだ半人前なのである。ましてやカルヴァン派のように「救済される人間と救済されない人間とは、神の予定によって定められている」等というものは、一切の衆生を救済する気のない神を拝んでいるのであるから、これはイエス・キリストの説いたアガペーの教えとどう整合性が取れるのか、と言う問題があるのである。

 万教帰一の真理は正しく、偉大な宗教家は全てこの宇宙の真理を説かれたのであるが、それを凡夫は正しく継承しないから、様々な問題が生じる。ましてや、環境破壊や侵略戦争、反国家主義の論拠に宗教を使うものは、クリスチャンにも仏教徒にもいるが、彼らはわざと宗教の御教えを改竄しているのであるから、宗教家でも信仰者でもなく、詐欺師である。

 仏教においては、一切の衆生を救わんとするもののみが本当の仏教徒であり、そうでないものが仏教を名乗るのは詐欺行為である。

 ここにおける「一切の衆生」とは、決して人間だけのことではない。

 『妙法蓮華経』にはお釈迦様が真理の説法をした時、天界の諸神に阿修羅、人間、そして「非人」というのが集まった、と記されている。

 これが『法華経』の真理である。『法華経』とは人間だけに説かれるものではなく、天界の神々や阿修羅界に落ちた者、さらには天界・人界・阿修羅界にも含まれない「非人」にも説かれたのだ。

 ここでいう「非人」とは、阿修羅界よりも下の世界の衆生であるから、畜生界・餓鬼界・地獄界のことである。これを「天部の一部」と解釈すると、文脈上色々矛盾が生じる。日蓮聖人は『観心本尊抄』で畜生でも成仏できることを説いている。

 畜生界とは言うまでもなく、動物の世界である。お釈迦様は動物相手にも真理を説かれたのである。

 であるから、畜生という単語を差別的な意味合いで用いるのは、お釈迦様のみ教えに背くのであるから、そのようなものが仏教徒を名乗ると詐欺師なのである。

 一切の衆生を救わんと願って始めて、「天皇国・日本」の実相顕現の真理に到達することができる。

 初代天皇である神武天皇の「八紘為宇」の本当の理念は、一切の生物が一つの家族となるような世界を築くことである。歴代天皇はその志を引き継いでいる。

 八幡菩薩応神天皇の時代には『法華経』は伝来していなかったが、彼は日蓮聖人の述べている通り、釈迦牟尼如来の迹仏である。それは日蓮聖人以前の託宣にも同様の記述があり、日蓮聖人が勝手に述べていることではない。

 それで、死後も八幡菩薩は託宣という形で『法華経』を尊重すべし、と言うことを説いている。

 死者の言葉など信じない、というものは聖徳太子を見ればよい。彼は『法華経』の真理を説かれたのである。

 今聖徳太子の著作と一般に言われている『法華義疏』は天台教学が含まれておらず、実際には聖徳太子よりも昔の人物の著作であって、それを九州王朝の上宮法皇が収集したのが真相と思われるから、聖徳太子の本当の言葉は「唯仏是真、世間虚仮」の八文字しか残っていない。

 これは谷口雅春先生のいう「唯神実相、唯心所現」のことであり、『法華経』の真理の真髄である。

 この聖徳太子の転生が空海聖人である。空海聖人と日蓮聖人は『法華経』の真理と「天皇国・日本」の実相顕現とが一体であることを見抜いた宗教史上の大天才なのである。

 これに並ぶのは、谷口雅春先生しかいない。雅春先生の『大日本神国観』には次のように記されている。

「すめらみことの御座より御光さし出でて洽く六合に照り徹らせり。

六合照徹光明遍照、六合照徹光明遍照・・・・・(繰り返す)

すべての生きとし生けるもの、すべての青人草、すめらみことを仰ぎ見て礼拝し讃嘆し感謝し奉る。」

「既に大宇宙の救済は成就せり。今波羅華実相の完全円満の相、地上に隈なく反映し実現して、中心帰一・万物調和の永久平和の世界今現ず。

一切の生物ところを得て争う者なく相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。」

 ここで谷口雅春先生は「一切の生物」と言われている。だから植物や菌類をも殺すのは良くないのであるが、『法華経』の真理は日蓮聖人も言われているように「罪業そのままで仏道を成ずる」ものであるから、菌類を殺したからと言って直ちに地獄に落ちるというような話ではない。

 しかしながら、動物は植物や菌類よりも人間に近い存在で、おまけに自我が発達している。植物や菌類にも自我はあるが、自我よりも全体の意識が大きいのに対して、動物は自我が比較的強いのである。

 特に哺乳動物は他の生き物よりも自我が発達しており、しかもより人間に近い存在なのであるから、それを殺すのがよろしくないのは言うまでもないのである。

 安倍政権を支持している団体に日本協議会と言う日本会議の本部事務局を担っている団体があり、その関連団体に「谷口雅春先生を学ぶ会」なる組織があるのである。

 一説によると、その団体の副代表は谷口雅春先生の孫である谷口雅宣先生を「宗教家としての仕事を放棄している」と主張し、その例として「どう抗弁しようとも、総裁夫妻は、サイクリングやノーミート料理などに興じている、そのようにしか映りません」と述べている、という。

 同様の内容は、学ぶ会の会員を名乗るものがインターネット上に頻繁に投稿しているところである。

 しかしながら、ノーミート料理、つまり「肉食をしない」という実践こそが、『法華経』の真理であり「天皇国・日本」の実相顕現への道である。

 「谷口雅春先生に学ぶ」と言いながら、雅春先生の御教えを実践して肉を食べないようにしている者を否定するのは、詐欺師のすることである。他にも「ヴィーガンは偏食だ」というものもいるが、雅春先生の推奨していた食事を「偏食」と言いながら谷口雅春先生の名を唱える宗教家や信仰者は、みな詐欺師である。

 谷口雅春先生は著書『心と食物と人相と』においてこのように述べている。

「心に描くことが形にあらわれる。動物を殺して、その肉を食いながら、心に“平和”を描くことができるでしょうか。もしできるならばそれは“道徳的反省”の欠如した精神薄弱者であるのであります。世界じゅうの多くの人がこのような精神薄弱者になっているから、“平和”“平和”と叫びながらいたるところに闘争が開始され、また継続されているのであります。」

 この御教えを学ぼうとするものが、平然と肉食を行う、等と言うことは決してあってはならないことなのである。

 また、日蓮聖人を本仏として崇めているはずの日蓮正宗のある僧侶が「日蓮大聖人が菜食をしたのは、当時の民衆は菜食をしていない僧侶を尊敬していなかったからであり、今の時代は『末法無戒』と言って別に肉食をしても何の問題もないのである」ということをブログに書いているのを読んだことがある。

 日蓮聖人はその生涯において一切、肉食をしなかった。魚や鳥も食べたことは無かった日蓮聖人を「本仏」としながら、その日蓮聖人が一度も認めていない肉食を行う僧侶は、日蓮仏法を語る資格を持たない詐欺師である。

 彼は日興上人が「もしも私の弟子たちが肉食をすることがあっても、それを理由に罷免することは無い」という意味のことを言った文章を根拠に肉食を否定していたが、日興上人も肉食をしていなかったのであり、これはあくまで「今は末法の世であるから、肉食と言う罪を犯すことがあっても私はそれを裁かない」という程度の意味である。

 日蓮聖人自身が「罪業そのままで仏道を成ずる」と述べている通り、肉食を一度すると直ちに地獄に落ちて救われないというものではないし、また、仮に地獄に落ちた衆生であっても救うのが『法華経』の真理である。

 だが、それを「肉食は何の罪でもない」とした場合、それは日蓮聖人や日興上人の教えを改竄しながらその二人の名を騙る詐欺師なのである。

 私はその僧侶の見解が日蓮正宗の公式見解かは知らないが、日蓮宗真言宗にも肉食を平然と行う僧侶はいるようであり、また真言系・日蓮系の他の教団にも肉食を全く罪とも思っていない者はいるようである。

 講話では「ノーミート」を言いながら日常肉食を行っている光明思想家が少なからず存在するが、そのような言行不一致は詐欺師のすることであって、思想家・宗教家のすることではないのである。

 万教帰一とは「あらゆる宗教の真髄は一つである」というものであるけれども、「宗教を騙る詐欺師」はそもそも宗教家ではないのであるから、彼らの説く教えが万教帰一に含まれることはあり得ないのである。

 知行合一という言葉があるが、実践に移っていない信仰は本当に理解したとは、言えない。

 私は真言系の宗教や日蓮系の宗教、光明思想系の宗教において公然と肉食を行いながら空海聖人の名を騙り、日蓮聖人の名を騙り、雅春先生の名を騙り真理を説く詐欺師たちのことを非難したが、だからといってそういう詐欺師を僧侶や講師にする教団自体が悪いというのではないのである。

 日興上人が弟子の肉食を破門の理由にしないと述べたのは、人間には業というものがあり、中々全く罪を犯さない人間はいないから、罪を犯せば即破門、とするのは現実的ではないからである。

 しかしながら、真言宗も本来は『法華経』の真理を自覚した上での真言であるべきが、次第に『法華経』の真理を自覚せずして現世利益のために加持祈祷を行い、結果、安徳天皇後鳥羽上皇の勝利を加持祈祷で祈ったものの効果なし、ということになってしまったのである。

 それを指して日蓮聖人は「真言亡国」と言われた。日蓮聖人は「利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり」と言われており、『法華経』以外のお経であっても結果的に『法華経』の真理に導かれることもある、と言うことを述べておられるから、日蓮聖人が「真言亡国」と言われたのは単に真言宗が『法華経』以外の経典を重視したから、というのではなく、『法華経』に導かれる縁もありながらその縁を踏みにじり、畏れ多くも天皇陛下上皇陛下の敗戦と言う懺悔しても懺悔しきれない悪業を招いたからである。

 加持祈祷すらも『法華経』の真理を充分に学ばずして行うと何の効果もないのに、ましてや『法華経』で一切の衆生を救おうとされたお釈迦様の御心に反する肉食を平然と行うことは、何の効果もないどころか返ってその詐欺的行為で悪業を積むのである。

 日蓮宗日蓮正宗も同様で、確かに「南無妙法蓮華経」の題目を唱えると『法華経』の真理に導かれるのであるが、いくら導かれても肝心の本人が『法華経』の真理の真逆の方向に向かっていては、それは救いようがないことになるのである。

 日蓮聖人は人間の奥には仏性があると説かれたが、それならばどうして本来仏性のある人間が救われないのか、というと、仏性があるのにもかかわらず、その自己内在の仏性に反する肉食をすることにより、自分の意思で自分の仏性に蓋をしているからである。

 私はこれらの教団の存在意義を否定するわけではなく、私は真言宗の檀家であり、日蓮宗最上稲荷教の信者であり、光明思想団体の会員であって、菜食を実践している宗教家がいることも知っているし、そういう宗教に寄生する詐欺師ですらも『法華経』の真理は救うのであるが、ただ、こうした詐欺師の行いに惑わされると一切の衆生を救う『法華経』の真理に背くことになるから、注意を喚起しているのである。

 宮沢賢治国柱会において日蓮仏法を学び、菜食を実践しながら小説を書き続けたのであるが、信仰者たる者はみなこの宮沢賢治のようなものを手本にすべきであって、言行不一致の詐欺師をモデルにすべきではない。

 私は国柱会宮沢賢治の言うことが全て正しいとは言わないが、宮沢賢治のその生き方自体は『法華経』の真理と同じベクトルを向いているのである。

 天皇陛下とは日本国民だけのために存在するものではないのである。

 一切の衆生天皇陛下の赤子である。日本国民というのは、偶々この日本列島において天皇陛下の臣民としての国籍を得ることができただけ、なのである。

 恵まれた存在には恵まれただけの義務があるのである。

 それは一切の衆生を救うことであり、当然のことながらその衆生には動物も含まれるのであるから、アニマルライツの尊重は日本人の義務なのである。

 かつて日蓮聖人は『神国王御書』において日本は神国であると言われた。それは八百万の神々に守られているからである。

 その筆頭が天照大御神であり、その次に八幡菩薩であり、そしてそれらの子孫が天皇陛下である。

 また、日蓮聖人によるとその日本はインドや中国よりも寺の数は多い。それは具体的にはどうかは判らないが、インドも中国も何度も仏教を弾圧した歴史があり、中国では前世紀にも文化大革命で多くの寺院が破壊されたし、今でも中国共産党の下で仏教は抑圧されており、インドでも度重なる宗教対立のせいか、今のインドに仏教徒は少ないようである。

 そういう諸外国と比べると、日本でも宗派争いや宗教抑圧はあったものの、それでも比較的恵まれた国である、ということが判るのである。

 そうした恵まれた国であるのは、天照大御神とその恩徳の体現者である天皇陛下のお蔭であり、日蓮聖人の言葉を借りると「善天善神」のお蔭なのであるが、恵まれた者には恵まれているだけの義務があるのである。

 かつて聖徳太子が『法華経』の真理を悟り、天台教学を学び「唯仏是真・世間虚仮」の真理を説いていた頃、九州王朝では未だに天台大師以前の仏説を崇めていたところ、白村江の戦いで九州王朝は敗北し、聖徳太子によって正しい真理を学んでいた近畿天皇家が列島の政権を握ることとなった。

 『隋書』によると九州王朝は「天を以て兄とし、日を以て弟と為す」という特殊な信仰を持っており、ここでいう「天」とは「未明」のことであって、要するに太陽神である天照大御神を月の神である高良大神の下においたのである。空海聖人が天照大御神最高神とし、日蓮聖人が善天善神の筆頭に天照大御神をおいたのは対照的である。

 また、『法華経』の真理の足りない加持祈祷によって安徳天皇は入水に追い込まれ、後鳥羽上皇は流刑になったことは、日蓮聖人が繰り返し語る通りである。

 そして近代に入ってからの日本も廃仏毀釈を行い、すぐに廃仏毀釈については反省したものの、やはり「神社非宗教化」を始めとする宗教抑圧の政策を継続したため、大東亜戦争においても折角の「八紘為宇」の理念を活かすことができず、「八紘為宇」どころか「自存自衛」にも失敗して占領の憂き目にあったのである。

 ところで、普通はここまで外患・内乱が起きると国は滅びるものであるが、日本はとても恵まれた国であって、大東亜戦争の敗戦という未曽有の事態においても万葉一統の皇室は存続できたのである。

 また、いくら間違った権力者が宗教を抑圧しても、次から次へと正しい『法華経』の真理を説く宗教家が現れて来るのも、日本が善天善神によって守られている何よりの証拠である。

 ここまで『法華経』の真理を実践するのに恵まれた国はない。アニマルライツについても、例えばヴィーガニズムの実践は精進料理の伝統のある我が国においては本来、易行道なのである。

 その本来易行道であるヴィーガニズムを実践しない我が国の国民は、いい加減に自分が如何に恵まれた存在であるのか、を自覚して「一切の衆生を救おう」との決意に燃えなければならないのである。

 一度、日本人がその自覚に燃えたならば、「中心帰一・万物調和の永久平和の世界」たる「天皇国・日本」の実相顕現は、容易に実現するのである。