すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

今日は母方の曾祖父の命日でした

 皆様、あけましておめでとうございます。11日になっての今年初めてのブログ更新となりました。

 今年は平成最後の年ですね。私もいろいろやり遂げようと思っています。

 今日は曾祖父の命日です。母方の祖母の父なので、母方の母方となります。

 私は平成9年(西暦1997年、皇暦2657年)の4月11日生まれですが、その曾祖父は同じ年の1月11日に亡くなられました。

 つまり、私は曾祖父の亡くなった日のちょうど三か月後に生まれたわけです。不思議な縁を感じます。

 この曾祖父の家系には日蓮宗の熱心な僧侶がおられるようです。私が『法華経』や日蓮聖人の文章を調べるようになったのも、その方のお導きかもしれません。

 なので、今日は命日供養ということで、自宅の霊牌に対しての先祖供養で特に曾祖父の名前を呼ばせていただきました。

 今回は先祖供養に宝蔵神社で用いている聖経である『観世音菩薩賛歌』を用いましたが、読誦の際にこれは『妙法蓮華経』の真理を万教帰一の観点から現代語にしたものである、ということを言わせていただきました。

 今回のことに限らず、こうした新しい形式の先祖供養では毎回、聖経を読誦する際に「改宗したわけではない」という断わりを行うことが推奨されます。

 最後に『顕浄土成仏経』をあげるのですが、恥ずかしいことに曾祖父の戒名(正確には法号)を知りませんでした。失礼を承知で、俗名に「命」をつけて戒名の代わりとさせて頂きました。

 ところで、『顕浄土成仏経』には「極楽浄土」「阿弥陀」「無量寿如来」といった言葉が出てきます。日蓮宗の方にはどうなのか、特に熱心な僧侶がいる家系の場合は戸惑ってしまいましたが、幸い私が行うとご先祖様は何の違和感も持たれなかったようです。

 現代語のお経を読誦するとご先祖様が勘違いされて怒ってしまう、という例はいくらかあります。私の両親も経験したことがあります。それで前述のような断わりが必要になります。

 宝蔵神社再興の祖・谷口雅春先生は浄土真宗の檀家だったようで、『顕浄土成仏経』の最後は「南無阿弥陀仏」の念仏で締めくくられていますが、末尾に「日蓮宗の場合は南無妙法蓮華経と読み替える」という旨のことが記されているので、今回はそのようにさせて頂きました。

 なお、日野家高野山真言宗の檀家です。真言宗の場合は「南無大師遍照金剛」と読み替えます。なので、普段は「南無大師遍照」で締めくくっています。

 本日供養した曾祖父は誕生日の件もあってとても縁を感じていますが、多かれ少なかれご先祖様とは縁があるものです。なので、先祖供養を行うことはとても大切です。

 先祖への感謝と供養、これが完璧に実践できるようになると私も信仰者として一人前ですが――まだまだですね。精進します!