日蓮系宗教が分裂している理由
世間では様々な宗教がありますが、似た教義なのに分裂してしまっている宗教は沢山あります。
今の日本では、ネット上で日蓮系宗教の信徒同士が相手を非難するような光景を見たことある方も少なくないと思います。
しかし、例えば「日蓮宗と日蓮正宗の違い」等と言われても多くの方はさっぱり判らないでしょう。ここでは、日蓮系宗教の分裂している理由について説明します。
宗教団体の分裂としては、教義の違いが大きな要因になります。ということで、日蓮系宗教の教義の違いについて、簡単に画像に纏めてみました。
ネット上のサイトを見ると、日蓮系宗教の分裂している大きな理由として「一致派」と「勝劣派」の対立が挙げられています。一致派と勝劣派の違いについては、画像を見てください。
しかしながら、実はこれは日蓮系宗教の分裂においては特に重要な問題ではないのです。
というのも、身も蓋もない言い方をすると、この「勝劣・一致」というのは「右翼・左翼」と同様、定義も曖昧で、専ら左翼が「あいつは右翼だ!」と政敵を非難するように、勝劣派が「あいつは一致派だ!」と論敵を攻撃し、右翼が「あいつは左翼だ!」とレッテル貼りをするように、一致派が「あいつは勝劣派だ!」とレッテル貼りをしているに過ぎないからです。
画像では簡単に一致派と勝劣派の違いを書きましたが、実は彼らの主張を詳細に書くと、ほとんど違いはありません。単なる「物は言いよう」の世界になります。
そもそも、宗教争いの多くはそういうものですが。
それでは日蓮系宗教はどうして分裂したのか。それは、日蓮聖人が亡くなった時に遡ります。
日蓮聖人は臨終の際、後継者を指名しました。ところが、その後継者が6人もいたのです。
禅宗では「血脈相承」と言って、宗派の後継者は原則として一人と決まっています(一子相伝)。それによると禅宗の開祖である達磨さんはお釈迦様の28代目の後継者であり、且つ、達磨さん以外に正当な後継者はいません。
が、日蓮聖人は「一子相伝というのはオカシイ!『法華経』は一切の衆生を救う真理のはず!一人だけの後継者のみが正しい真理を伝えているとはどういうことだ!そういうことを言うのは天魔の所業だ!」と言います。
「天魔」というのは天界に住む悪魔のことです。
「え?天界って、善人が行くところじゃないの?悪魔がどうして天界にいるの?」
と思われる方もいるかもしれません。
実は、仏教では悪魔の親玉である魔王波旬は天界に住む天部(神様)です。それも、欲界天(食欲や性欲のある神様)の中では頂点に立っています。
仏教における悪魔とは、悪いことをしている魂というよりも、自分の位が高いことによって天狗になって増上慢に堕ちっている魂を指します。ちなみに、「天狗になる」という形容詞の「天狗」も元々は「天魔」とほぼ同じ意味です。
似たような考えはイスラム教にもあります。イスラム教では悪魔のトップはイブリースです。イブリースも天界に棲んでいる天使(マラーイカ。但し、イスラム教におけるマラーイカは天使よりも天部と訳す方が適切だと私は思います。)の一人なのですが、ある日アッラーが
「マラーイカよ、人間に跪いて礼拝せよ!」
と命令します。すると、イブリースは
「どうして人間如きを礼拝する必要があるのですか?私は人間たちを従えて見せます。」
と言って反抗しました。アッラーは
「そうか、では人間たちを従えて見るとよろしい。まぁ、お前の思惑通りにはならないがな。」
と言って、あえてイブリースを天界に残したままにしました。
仏教もイスラム教も悪魔についての考えはよく似ています。というよりも、それ以外にも仏教とイスラム教の共通点は多々あります。
どちらも悪魔とは傲慢な天部(マラーイカ)である、という点は一致しているのですが、日蓮聖人は禅宗を「増上慢に陥りやすい」と非難していたわけです。
ただ、日蓮聖人はあえて過激な言葉を言う人です。八幡菩薩を叱責するような文章を書いたかと思えば、ほぼ同じ時期に「八幡菩薩は釈迦牟尼如来の垂迹(分身)である」と書いたりしています。
というのも、日蓮聖人の文章の多くは手紙の形で残っており、特に晩年は鎌倉幕府による弾圧や元寇と言った内憂外患の危機の中で信徒に書いた文章が多数を占めます。だから、その中には敢えて過激なことを言って信徒の引き締めを図ったものも少なくないのです。
実際には、禅宗でも天魔のような心境になることを「魔境」といい、修行僧が魔境に入らないような措置を取るようにしています。
禅宗が血脈相承を重視するのも、魔境に入ったような未熟な弟子が指導者となることを防ぐための措置である、という意味合いがあります。
一方の日蓮聖人は、肉体の人間一人が後継者となると彼が間違いをしてしまった場合に取り返しのつかないことになる、と思ったのでしょう。
禅宗のような血脈相承は行わずに、六人の弟子による「集団指導体制」で死後の教団を率いるように遺言したのです。
ところが、日蓮聖人の死後に六老僧が仲良く集団指導体制を築くかと思えば、彼らは見事に分裂してしまいます。
というのも、六老僧は順番で日蓮聖人が晩年住んでいたお寺である身延山久遠寺を守ることになっていたのですが、真面目にそれを守ったのは日興上人だけ、ということで日興上人が怒り出したのです。
とは言え、それは他の五人の僧侶にも言い分はあること。真面目な日興上人が怒ったのは、他の五人が神社を崇敬していたことです。
当時の日本の仏教では神仏習合が主流派ですが、中には仏教のみが正しくて神社の神様を崇敬するのはケシカラン、という宗派もありました。
特に親鸞上人の浄土真宗は「神祇不拝」を唱えていました。そのため、今でも浄土真宗系の僧侶の中には神社への参拝を拒否したり、靖国神社等を相手にした訴訟に参加したりしている方もいます。
日蓮聖人はどちらの立場だったのか、については議論があります。多数派解釈では日蓮聖人は神道の神々も仏教における天部として崇敬していたので、神社参拝も問題はない、ということになっています。
しかし、日興上人の解釈は違いました。彼によると今の日本は末法の世であまりにも間違った信仰が広まっているため、神々はみんな天界に帰ってしまい、神社には諸天善神ではなく悪魔や鬼が棲みついているのだ、と主張します。
ですが、日蓮聖人の門下の多くも普通の日本人。「神社に参拝するな!」と言われると反発します。
そうして孤立した日興上人は「神祇不拝等という過激なことを言っているケシカラン坊主がいる!」ということで時の権力者にも睨まれ、身延山を離れて大石寺へと移住します。
さて、こうして身延山から離れた日興上人は「私の主張が如何に正しいか、きちんと説明してやろう!」ということで、日蓮聖人の正しい教え(とそれについての日興上人の解釈)を文章化するようにします。
それを身延山の僧侶が読んだことから、今度は何故か身延山の僧侶同士が喧嘩をします。
ある僧侶がこう言いました。
「ハハハ、やっぱり日興上人は間違っておるわ。彼は一致派ではないか。『法華経』の本門と迹門の区別もついておらん。」
すると別の僧侶が反論します。
「ちょっと待て!『法華経』の内容は本門も迹門もどちらも素晴らしい内容だぞ?勝劣派とやらを言うお前は日興同様、日蓮聖人の正しい教えを理解しておらん!」
「ちょっと待て!日興上人は決して一致派ではない!勝劣派であるぞ!デマを流すではない!」
と反論し、さらに身延山の一致派の僧侶は
「いや、一致派など天台宗と変わらんではないか!勝劣派こそが正しい日蓮聖人の教えだ!」
と言って、収拾のつかない事態になったのです。
さらには一致派同士、勝劣派同士でも
「私が本当の一致派で、お前らは一致派を名乗っているが本当は勝劣派だ!」
とか
「私が本当の勝劣派で、お前らは勝劣派を名乗っているが本当は一致派だ!」
等という有様。冒頭の図では勝劣派と一致派の定義を簡単に書きましたが、実際には論者によって定義が変わる始末です。
要するに、
「一致派:自称勝劣派に嫌われている人」
「勝劣派:自称一致派に嫌われている人」
とでも解釈するのが最も適切でしょう。
こういう対立は他の宗教でも見られます。キリスト教で「グノーシス主義」と言うと、グノーシス主義という特定の教団がある訳ではなく、教会が意見の異なる人達に対して「あいつらはグノーシス主義者だ!」と言って攻撃しているだけのケースが少なくありません。
また、イスラム教では「スンニ派」「シーア派」「ハワーリジュ派」と言った宗派がありますが、これらの宗派も明確な定義がある訳ではなく、レッテル貼りとして用いられることが少なくありません。
政治の世界では共産主義者が「あいつらはトロツキストだ!」「あいつはスターリン主義者だ!」と言ってお互いを非難していますが、人によってトロツキストとスターリン主義者の定義が異なるのと一緒です。
なので私は勝劣派と一致派と、どちらが正しいかという事にはここでは触れません。どちらにも一理はあるだけに、素人が口を挟むと思わぬ泥沼へと嵌るでしょうから。
<追記>一致派と勝劣派の論争の背景には天台教学との兼ね合いもあるので、ここでの書き方には正確さに欠けるとの指摘がありました。本記事では「一致派と勝劣派の議論が日蓮教団分裂の主要原因ではない」ということを説明するためにこういう形になりましたが、教学論争自体はもっと深い議論が続いていました。
こうして身延側の教団は分裂しましたが、日興上人の系統(日興門流)はどうなったかというと、こちらも分裂しました。
日興門流では日興上人だけが日蓮聖人の正統な後継者であるとし、以後、日興上人の後継者は「一子相伝」で大石寺の住職をすることになります。
このシステムにより、日興門流は身延山のように分裂することはないはずでした。ところが・・・。
日興門流の僧侶・信徒を揺るがす問題が起きます。それが、大石寺第9世の住職日有上人から第26世住職の日寛上人の頃に成立したとみられる「日蓮本仏論」です。
ここでいう「本仏」というのは唯一絶対神に近いニュアンスの言葉です。なお、よく仏教は一神教よりも多神教に近い、と言われていますが、実際には仏教の教義は一神教の方が共通点は多いのです。
インドネシアでは公式に仏教も一神教に分類されていますが、仏教が多神教だと思い込んでいる多くの日本人は「一神教は排他的で、多神教は寛容」とステレオタイプな見方を持っている方が多いです。そして「神道は寛容な多神教である」というのですが、そんなに寛容なはずの日本は世界でも有数の宗教に冷たい国です。
それはともかく、天台宗系の日本仏教では(日蓮聖人も本来天台宗の僧侶です)「釈迦本仏論」を唱えていました。これは肉体のお釈迦様のことではなく、「久遠実成の本仏」つまり「永久に宇宙を遍満する真理」が釈迦牟尼如来である、というものです。
一方、大石寺は「いや、本仏は日蓮大聖人である!」と言いました。簡単に言うと「日蓮大聖人は唯一絶対神である!」と言ったようなものです。
釈迦本仏論と日蓮本仏論の間には、キリスト教とイスラム教ぐらいの違いがあります。これまでの「勝劣・一致」や「神祇不拝」を巡る論争とは、次元が異なるのです。
これを受けて日興門流の中でも「大石寺の住職にはついていけない」という人たちが出てきます。
さて、時は下り明治時代。様々に分裂していた日蓮系教団ですが、とりあえず勝劣だの一致だのと言った細かい違いを乗り越えて団結しよう、という動きが生まれます。こうしてできたのが日蓮宗です。
こうした大同団結の動きは政府の後押しで一気に進んだり、反動で逆に分裂が激化したり、を繰り返しましたが、戦後になっても続きます。今の日蓮宗には一致派の人も勝劣派の人もいます。(一致派が主流派ですが。)
そうした中、日興門流も3つに別れました。釈迦本仏論の人たちの中には日蓮宗に合同しても良いという人がいます。同じ日興門流と言っても、日蓮本仏論よりも日蓮宗の方が意見は近いからです。
一方、「いや、私も釈迦本仏論ではあるが、一致派と組むことはままならぬ」と言って、「我が道を行く」と言わんばかりに独立した人達もいました。その一部は日蓮本宗を結成しました。
そして、大石寺を総本山に日蓮本仏論を貫いた人たちは「日蓮正宗」を結成しました。ところが戦後になって「日蓮本仏論は認めるが、大石寺の住職への血脈相承は認めない」という複数のグループが独立して、創価学会、顕正会、正信会が結成され、さらに創価学会では「やっぱり釈迦本仏論の方が正しい!」という公言して本まで書いている現役の信徒が登場しているのですが、その辺りの詳しい事情は別の機会に述べることとします。