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日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

竹島問題の歴史的経緯と解決策――政府主催「竹島の日」式典はやはり今年も開催されず

 

 今日は竹島の日です。そういや、安倍首相は「出来る事しか書かない」公約に「政府主催の竹島の日式典開催」を書いていましたね。

 まぁ、安倍政権は朝敵売国政権なので、愛国的な公約は「できるけどやらない」が方針なのでしょう。「原発に依存しない社会」というのも「出来る事しか書かない」公約に書いていたのですけどね。

 竹島問題というのは、古代に遡る問題です。もっとも、当時は「竹島」というと「鬱陵島」を指していました。今の「竹島」は「松島」と呼ばれていました。

 この鬱陵島于山国とされる独立国だったのですが、西暦6世紀頃から新羅(韓国東部)と俀国(九州王朝)が領有権を主張するようになります。

 『三国史記』によると天監11年(西暦512年、皇暦1172年、仏暦1055年)6月に新羅于山国を属国にしました。韓国側の主張では、独島(松島。今の竹島。)も于山国の一部であってこの時に韓国に帰属した、ということになります。

 一方、日本側もこの頃から竹島鬱陵島)の領有権を主張していました。九州王朝は中国側にも鬱陵島倭国の領土と主張していたようで、『隋書』や『北史』では「竹島鬱陵島のこと)」が俀国の一部であると記されています。

 于山国新羅の属国であったものの、一応は独立国としての要素は持っていたようですから、当時の鬱陵島を巡る問題は複雑であったといえます。

 このように、古代から日韓の間で竹島の領有権主張は行われていたわけですが、さらにこの問題は二国間だけの問題ではありません。

 なんと、寛仁2年(西暦1018年、皇暦1678年、仏暦1561年)に満洲民族の祖先である女真族于山国に侵攻、于山国を滅ぼしてしまいます。ちなみに、翌年の寛仁3年(西暦1019年、皇暦1679年、仏暦1562年)には女真族が日本にも侵略してきています。

 当時の日本は「王朝国家」という超腐敗した国家体制で、本来は天皇陛下の下で「世界中のあらゆる生物を一つの家族とする」(八紘為宇)ために邁進すべき貴族たちが、私利私欲を追求して国家を私物化していました。(ちなみに、本来の「律令国家」では「国民平等」「肉食禁止」「動物解放」等の政策の実現が目指されていました。その「律令国家」が腐敗した結果誕生したのが「王朝国家」です。)

 という訳で、日本側はあまり竹島鬱陵島)について対策を打たず、代わりに女真族の脅威に晒されていた当時の韓国の王国である高麗は、于山国の直接支配に乗り出しました。が、高麗も高麗で朝鮮半島から鬱陵島はかなり離れているため、どこまで実効支配が出来たのかは疑問符があります。

 日本も政府の方はともかく、出雲・隠岐の漁師たちは鬱陵島の実効支配に乗り出していました。鬱陵島周辺の海域は資源が豊かだからです。高麗も次第に実効支配に消極的となったため、鬱陵島の帰属は両国の漁師たちの間で主に問題となります。

 それがようやく日韓の外交上の課題となったのは、江戸時代のことです。

 元禄6年(西暦1693年、皇暦2353年、仏暦2236年)に鳥取藩が鬱陵島にいた朝鮮人不法入国者として連行しました。この時に朝鮮側は鬱陵島だけでなく「松島」(今の竹島)も「朝鮮国の領土」である、と主張します。

 朝鮮側の主張は、竹島(今の鬱陵島)には確かに朝鮮人は誰も住んでいないが、昔から朝鮮の領土として管理をしており、竹島が日本領であるという主張には根拠がない、というものでした。また、松島は竹島に付属する島である、と朝鮮側は考えていたようです。

 これを巡って日本側の対応も二転三転しましたが、最終的に江戸幕府は「竹島放棄」を決定しました。一方、「松島(今の竹島)」については当初は鳥取藩が領有権を主張しなかったため放棄も検討されたようですが、正式に松島の放棄までは決定されない内に鳥取藩が再び松島の領有権を主張しました。

 朝鮮側も松島についてはそれほど関心が高くなく、この時点で松島の帰属は曖昧なまま終わります。そして、朝鮮政府は鬱陵島にも人を定住されなかったほどですから、当然松島にも人が居住することはありませんでした。

 そこで、明治維新後の日本政府はそうした事情から「松島を朝鮮政府は実効支配していない」と解釈します。そして、明治38年(西暦1905年、皇暦2565年、仏暦2448年)1月に竹島は日本の島根県に帰属すると閣議決定します。この閣議決定の内容自体は別に秘匿されていたわけではなく、当時の大韓帝国に秘密で領有権を主張したわけでは、ありません。

 ただし、大韓帝国はこの時すでに『日韓協約』によって日本の韓国統監府に外交権を制限されていました。韓国政府は日本に外交権を事実上奪われていたわけで、日本が松島の領有権を主張しても抗議できる状況ではなかったのです。

 なお、この時に日本政府は「松島」の名称を「竹島」へと変更し、これまで「竹島」と呼ばれていた島を「鬱陵島」と呼ぶことにしました。

 そして大東亜戦争の戦後処理で日本がGHQに占領されている間に、独立を回復した大韓民国竹島対馬波浪島の領有権を主張します。この時の韓国の李承晩大統領は悪名高い独裁者で、国民の不満を逸らすために敢えて日本への強硬姿勢をとった面がありました。

 この李承晩大統領の主張は明白に日本の領土である対馬の領有権を主張していたり、架空の島である波浪島の領有権を主張してしまったりするなど、あまり内容を精査せずに領有権主張をしたことが伺われます。とは言え、明らかに日本領であった対馬や架空の島である波浪島の実効支配は出来ませんでしたが、ほぼ無人島である竹島については実効支配が出来ました。

 日本はこの時GHQの占領下なのでほぼ抵抗できない状態でした。このことが日本側による反発を大きくします。もっとも、日本も明治時代に同じことを韓国にしていたのも事実ですが。

 さて、そこでGHQ竹島問題についていろいろと検討しますが、最終的に「竹島が韓国領だとは認めないが、かと言って韓国による実効支配も止めない」という結論に達します。

 どういうことかというと、竹島問題で日本と韓国が末永く対立することを狙っていたのです。欧米列強の白人どもの趣味は有色人種同士を対立させることです。アフリカでも黒人同士の部族対立を利用して黒人奴隷を集めていました。

 竹島問題における最大の問題点は、日本も韓国もお互いが事実上抵抗できない状態で竹島の実効支配を宣言した、ということでしょう。

 歴史的に見ると、測量技術も未発達だった近世以前において竹島の領有権が曖昧になるのは必然であり、それを巡り紛争が発生するのは古今東西よくあることです。領土問題にも色々ありますが、これは典型的な「どちらにも一理ある」ケースです。

 だからこそ、アメリカはこの問題を日韓間にくさびを打つために利用しましたし、今でもそういう側面はあります。

 こういう問題では、一度当事者双方が原点回帰するべきでしょう。元とは言えば鬱陵島周辺を巡る漁業問題が争点であり、今ではそれにメタンハイドレート等の海底資源の問題も加わっています。

 漁業問題については『日韓漁業協定』が存在しています。これは「日韓暫定水域」において共同で漁業を行うというものですが、韓国側の主張する境界線よりも日本側の部分までもが暫定水域に指定されるなど、著しく日本が不利な内容となっています。

 とは言え、この問題を平穏に解決するためにはある程度の譲歩は避けられないでしょう。ただ、外交問題においては「言うべきことは言った上で、譲歩する」のが鉄則です。

 そもそも、この資源問題において漁業のウェイトは今後下がっていくでしょう。私がヴィーガニズム実践者だから、というのもありますが、地球環境問題の観点からもあまり漁業の乱獲は好ましくありません。日韓暫定水域においては、日韓両国による水産資源保護の枠組みを作るべきであると考えます。

 また、メタンハイドレート等の資源の活用についても協議を深めるべきです。

 そして、日本も「韓国側の主張する境界よりも日本側」の水域を暫定水域に含めているのですから、例えば「日本が竹島の領有権主張を放棄する代わりに、鬱陵島周辺の海域も暫定水域に含める」等という交渉を韓国側に持ちかけてみるのも、一つの手だと思います。

 いずれにせよ、竹島問題で双方の対立を煽り続けるのはお互いの為にはならないでしょう。特に日韓の対立を煽ってきたアメリカには、それが韓国において容共派の文在寅政権が誕生し、「平壌政府」の力が強まっている理由の一つであることを自覚させるべきです。

 北東アジアの安定のためには日韓連携しかなく、竹島問題も平穏に解決する道を模索したいものです。