すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

奈良時代「律令国家」が「暗黒の時代」であったという洗脳

 大宝元年(西暦701年、皇暦1361年、仏暦1244年)に『大宝律令』が公布され、養老2年(西暦718年、皇暦1378年、仏暦1261年)に『養老律令』へと改訂されました。この、『大宝律令』や『養老律令』によって国家が運営された体制を「律令国家」と言います。

 ところが、今の学校教育ではしばしばこの「律令国家」を「暗黒の時代」であるかのように扱います。その例としてよく出されるのが「貧窮問答歌」で、これを読まれている方にも「律令国家は暗黒の時代だった」と洗脳されてしまっている方は多いのではないでしょうか?

 しかし、実際には律令国家は暗黒の時代ではなく、当時の世界でも先進的な政策を実現した国家であり、日本において歴史上唯一「国民配当(いわゆるベーシックインカム)」の達成できていた体制でした。

 律令国家の典型が奈良時代ですが、この時代の様々な問題は律令体制が原因であるというよりも、寧ろ律令体制が徹底されなかったことに起因すると言えます。

 歴史を学校で真面目に学んだ方の多くは

律令体制において公民(農民)は、租・庸・調といった多大な税負担に苦しんだ」

と習っているかも、知れませんが、実際には当時の税制はそれほどか国ではありません。

 今でいう所得税に該当する「租」は『大宝律令』では収穫の約3%で、『養老律令』では約2.5%です。今の日本の所得税の最低税率は5%ですから、律令国家の方が負担は少ないわけです。

 「庸」や「調」については今の税制と単純に比較はできませんが、これについても今の税制よりも負担が重いとは言えません。

 庸は米で払う場合と布で払う場合がありましたが、庸米の場合は収穫の約2%に相当する量です。調は銭に換算すると9文で、銭と米の交換比率は色々変化していたようですが、概算で約1.25%程度であったと考えられます。

 今よりも負担が重いと考えられるのは雑徭と兵役ですが、兵役については現実にはかなり甘く運用されており、雑徭についても「年間60日以内は公共事業に従事せよ」というものですが、年間60日どころかほとんどの日に超長時間労働を強いられ、収入についても租庸調の合計をはるかに上回る税金を取られているブラック企業勤務のワーキングプアよりも遥かに生活は楽である、と言えるでしょう。

 また、今の日本ではワーキングプアでなくとも不景気になり失業すると収入を失い、大変な目に遭います。ところが、律令国家では「失業」で「無収入」など、あり得ません。

 というのも、全ての国民に農地を支給していたからです。その代わり、亡くなると農地を没収します。言い換えると、生きている間は農地を失わないのです。これが『班田収授法』です。

 国民の多くは「税負担」よりも「無収入」を怖れるでしょう。その「無収入」があり得なかった律令国家は、かなり優れた制度であったといえます。

 今の日本においては国民配当(いわゆるベーシックインカム)の導入すらも議論が進んでいません。律令国家の体制を見直すべきでしょう。

 さて、こうした律令国家は当時の世界のどの国よりも先進的な体制でした。

 よく「日本の律令制は中国の律令制の模倣」という方がいますが、それは全く違います。日本における班田収受制は中国の均田制よりも徹底して適用されていましたし、それだけでなく、もっと根本的な違いがあります。

 日本の律令国家では「奴隷制の段階的廃止」「女性の権利の保障」といった原則が盛り込まれていたのです。

 当時の中国の律令では「奴隷と女性には権利が無い」という状態でした。無論、土地も支給はされません。

 一方、日本では「良民」と「賤民」という身分制度はあり、賤民の最下層は奴婢という奴隷階級でしたが、土地は支給されていましたし、主人を訴える権利も保障されていました。さらに、最終的に延喜7年(西暦907年、皇暦1567年、仏暦1450年)を以て奴婢は奴隷身分から解放されました。

 また、女性に土地を支給し財産の相続についても男性と違いのない制度でした。

 そもそもが、律令国家においては男女の差はあまり意識されていません。『古事記』では皇子も皇女も「王」と記されており「女王」の表記はありません。『万葉集』でも「額田王」は女性です。

 確かに「親王」と「内親王」、「王」と「女王」の区別は無いわけではありませんでしたが、「内親王」を「親王」と表記したり「女王」を「王」と表記したりすることもありました。要するに「弁護士」と「女性弁護士」みたいなもので、「女性弁護士」を単に「弁護士」と言っても全く問題ないように、「女王」を「王」と言っても全く問題なかったのです。

 こういうと、フェミニストが過剰な幻想を誇大に抱きだすので念の為に言っておくと、別にこれは古代がジェンダーフリー国家だったことを意味するのではありません。

 女性に支給される農地は男性の三分の二でした。こういうと女性差別であると今のフェミニストは騒ぐでしょうが、女性は男性とは違い庸や調、雑徭、兵役等の負担はありません。第一、農業についてもこれは肉体労働ですから、男性の方が支給される農地が広いのは合理的な判断であるといえます。

 ちなみに、家制度もこの時代に確立しています。よく「古代は妻問婚であり、男性が女性の家に通う形態であって、これは母系社会だった時代の名残である。今の夫婦同居のような一夫一妻制の婚姻形態は室町時代以降にできた。」みたいなことを言う人がいますが、これはフェミニストの妄想です。

 長屋親王邸の発掘調査の結果からも、律令国家における戸籍の分析からも、当時から既に夫婦同居が行われており、また家制度も存在していたことは疑いようがありません。

 だいたい、母系社会が過去に存在したという根拠はありません。こういうと卑弥呼(俾弥呼、甕依姫)の例を持ち出す方が出てきますが、『魏志』「倭人伝」にも書いてあるように当時の倭国はすでに男王による支配が確立しており、それが行き詰ったから俾弥呼が共立されたのです。また、俾弥呼には子供がいませんから、母系継承が行われていたわけでもありません。

 逆に古代に男系継承が行われていた根拠もありません。いや、男系継承自体はあったのですが、当然例外も多分にありました。名字にしろ、夫婦同姓のケースもあれば夫婦別姓のケースもありました。

 名字というと、国民すべてに名字があるのは明治維新以降だと思われがちですが、実際には律令国家において既に全ての国民に姓が与えられていました。それは『続日本紀』の内容からも、各地で出土している木簡からも、当時の国民は庶民にも姓があったことは疑いようがありません。

 もっとも、一部には姓を持たない国民もいたので、律令国家の政府は何度も国民に姓を持つように勧告しています。どこまで徹底していたかはともかく、律令国家の政府自体は国民を平等に扱おうとしていたわけですし、現存する史料を見てもそれはある一時期までは相当成果を上げることが出来ていた、と考えられます。

 このようにかなり進んだ体制の律令国家でしたが、今の時代の学校では「民衆は苦しんだ」という風に教えているのです。歴史は古代史から見直さないと、思わぬところで洗脳されてしまいます。

 例えば、アニマルライツの観点から見ても律令国家はかなり先進的です。

 律令国家の政府は大乗仏教の菩薩戒の影響を受けていたのか、肉食の禁止や動物の釈放といった政策を打ち出しています。もっとも、多くの国民はこれを守りませんでした。

 よく徳川綱吉の『生類憐みの令』が非難されますが、大河ドラマ平清盛」にも登場した『殺生禁断令』を始め、同様の法令は古代から何度も出ています。特に律令国家の政府はこれを徹底させようとしていたのです。

 これが「悪法」だというのは、まさに洗脳でしょう。これらの法律は別に動物の権利を人間よりも優先した、という訳ではありません。

 ただ、肉食は律令国家の時代からまず公家からして行っていましたし、江戸時代になると武士は殺生がある意味「仕事」ですから、どうしても後世の史書においてこういう法令は「悪法」とか「理想論」という風に記されてしまうのです。

 美貫(ヴィーガン)も増えてきた今の時代においては、却って律令国家の先進性が再認識されるべきだと思います。