人間を神の生命の現れとして礼拝出来なかったイブリース
アッラーが人間を創造された時、アッラーは人間を自分の姿に似せて造ったのである。しかし、現象的には人間は物質から作られたのである。
それで、アッラーは天部たちにこう言った。
「人間に対して礼拝せよ。」
天部たちは戸惑った。礼拝とは、唯一絶対の神に対してのみ行うことである。「アッラーの他に神なし」ではなかったのか。
アッラーの命令で天部たちは仕方なく人間に礼拝したが、イブリースだけは従わなかった。アッラーはイブリースに言った。
「お前はどうして人間に対して礼拝しないのか。」
すると、イブリースは答えた。
「貴方は私たちよりも人間を尊重されます。しかし、私たちの身体は火で創られました。対して、人間は塵から作られています。どうして、私たちが人間に礼拝しないといけないのですか?私はむしろ、人間たちを従えて見せます。」
ここでいう「火」とは「真理の灯火」である。古代日本語では「火」も「霊」も「ひ」と発音する。アラブでも火に霊的な力が宿るという信仰があった。
天部は火、つまり霊である。ところが、人間は物質で創られている。どうして霊が物質に礼拝するのか、とイブリースは言っているのである。
すると、アッラーは言った。
「お前の好きなようにしなさい。」
アッラーはあえてイブリースを天界から追放しなかった。このイブリースが、キリスト教におけるサタンであり、仏教における魔王波旬である。
イブリースは人間の現象を見たのである。人間の実相が神であることが、判らなかったのである。
アダムとイブが「知恵の実」を食べたのも、イブリースによる謀略である。これによって人間はエデンの園から追放されたように見えるが、それは違うことは『菜食実践は「天皇国・日本」への道』にも収録した「『コーラン』は原罪無しの真理を説く」で述べた。
アッラーは人間を赦した。その、神による赦しを信じない者は地獄の業火に焼かれるであろう、とアッラーは述べている。
人間に罪はない。しかし、罪を犯さずに生きていくことはできない。
私も様々な罪を犯したが、最大の罪が2つある。同じぐらい重い罪であり、且つ、表裏一体の罪である。
それは、唯物論左翼の朝敵売国政権、まさに尊皇愛国の仮面を被って日本を滅ぼしている政権の首魁に対して、未だにその肉体を殺していないことと、その仏性を礼拝できていないこと、の2つである。
この両方が出来ている人間は一人もいないのである。「いや、私は彼の仏性を拝んでいる」という者、本当に真に彼を拝み切っているならば、朝敵売国政権等という忌々しい現象は現れていないのであるから、他人を「お前は拝んでいない」等と言って裁いてはならない。私は貴方よりも「無知の知」があるだけ、まだマシである。
結局、人間というのはイブリースを非難する資格のない、その程度の存在である。そんなどうしようもない国民に「感謝」の言葉を述べられた、天皇陛下の恩徳の何という篤いことか!
私はまだまだ精進しなければならぬ。天皇陛下、ありがとうございます。十方の諸仏、諸天様、ありがとうございます。