すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

『聖書』の解釈とヴィーガニズム(2)


人気ブログランキングへ

 私は前回のブログで「エロヒムは菜食を勧めている」と述べたが、こういうと一部の方からこういう反論が来るかもしれない。

エロヒムだってノアの大洪水の後は肉食を認めているじゃないか!」

 確かに『聖書』を読むとノアの大洪水の後でエロヒムが肉食を認めた、と解釈できる文があるのだが、それに触れる前に「創世記」の内容をざっと確認しておきたい。

 まずエロヒムが世界を作る。そして人間や動物に植物を食べ物として与える。そのような世界について『聖書』は「はなはだ良い」と記している。

 ところがその後、「主なる神」というのが登場する。ヤハウェだ。

 ヤハウェは変な神様なのだ。唯一絶対の神にしては何かがオカシイ。

 エロヒムが神に似せて人間を作ったとあるが、ヤハウェは塵から男性を作り、その男性の肋骨から女性を作った、とある。既に述べたようにこれは矛盾している。

 さらにエロヒムは人間も動物も「はなはだ良い」ように造ったのだが、ヤハウェは違う。

 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

 「きっと死ぬであろう」って、いやいや、唯一絶対の神ならばそんなもん作るなよ、と突っ込みたくなる。

 さらには、ヤハウェは「人を騙す蛇」まで創造している。こんな神様嫌だ・・・・。

 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。

 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。

 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

 それで「善悪を知る実」を食べた人間はヤハウェに追い出される。

 主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。

 つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」

 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

 人を騙す蛇も騙される人も自分が作っておきながらそれで罰するのだから、ヤハウェというのはかなり性格が悪い。


人気ブログランキングへ

 エロヒムが唯一絶対の神だと言うのは納得できる。エロヒムは「はなはだ良い」世界を作ったのである。唯一絶対の神に相応しいではないか。

 ところがヤハウェは自分で「騙す蛇」に「騙される人間」を造っておきながら、その「騙された人間」をエデンの園から追い出すのである。何という理不尽!「はなはだ良い」どころか「はなはだ悪い」世界を創造しているではないか!

 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

 この話を基に「人間には原罪がある」と教えるのがキリスト教である。神様が作った蛇に騙されたことが原罪とは、何とも理不尽すぎる。

 ところでエロヒムは「はなはだ良い」世界を作ったはず。このエロヒムヤハウェの世界は両立しない。そして唯一絶対の神が作った世界であるならば、エロヒムが作った世界の方が本物のはずだ。

 そう、ホンモノの神はエロヒムであり、ホンモノの人間はヤハウェが塵で作った存在ではなく、エロヒムが神に似せて造った存在である。そしてホンモノの人間はまだエデンの園から追放されていないのだ!

 こういうと奇抜な説に見えるかもしれないが、論理的に解釈するとそれしかありえない。

 『旧約聖書』に出て来る「エロヒム」と「ヤハウェ」は明らかにやっていることが違う。同一の存在とは思えない。

 しかし、唯一絶対の神は一つである。エロヒムヤハウェのどちらかがホンモノでどちらかがニセモノだ。そして唯一絶対の神が「はなはだ良い」世界を造った、と言うのはあり得るが「はなはだ悪い」欠陥品の世界を造るのが唯一絶対の神のわけがない。

 ならば、エロヒムが唯一絶対の神でありエロヒムが造った世界こそが本当にある世界なのである。ヤハウェが造った世界はニセモノの世界であり、「本来存在しない世界」なのだ。

 光明思想界隈では「実相」と「現象」という言葉を使う。神様が作った完全な世界が「実相」であり、人間が心で把握する不完全な世界は「現象」である、というものだ。これは『旧約聖書』の解釈にも適用できる。

 神様は、本当は完全な世界を造った。人間も本来は完全な存在であった。ところが、人間がそのエロヒムによって造られた完全な存在であることを忘れ、ヤハウェが塵から造った不完全な存在であると思い込んだ結果、蛇に騙されてエデンの園から追放されたのである。


人気ブログランキングへ

 人間の肉体や心と言うのは、その実質が存在するのではない。肉体は物質で出来ているが、最新の理論物理学である超ひも理論では物質の最小単位である素粒子は超ひもの振動である波に過ぎない、という。

 我々は物質を何となく確固とした粒子の集まりであると思い込んでいるが、それは錯覚で実際は単なる波なのである。

 心も同じだ。確固たる存在ではない。スピリチュアルでいう憑依を持ち出すと「非科学的」と言われそうだが、そうでなくとも精神薬の濫用によって心は破壊される。薬物によって左右されるものを確固たる存在とは言わない。

 肉体も心もあるように感じるが、それはあるように感じるだけで本当にそのような実態がある訳ではない。ただ「肉体」という現象、「心」という現象が存在するだけなのだ。

 やや哲学的な話になったが、古今東西の偉大な宗教家はすべてこの問題を把握したのである。

 それでは本当にある実態とは何なのか、というのが宗教家たちの課題であった。

 『旧約聖書』(厳密にはその元になった「創世記」の作者)ではそれをエロヒムが造った「はなはだ良い」世界である、としたのである。(実は『聖書』は後世の編纂物である。「創世記」についても複数の出典を基にしているからエロヒムヤハウェの描写で矛盾が出るようになっている、という説がある。)

 そしてその本当にある世界、実在の世界では神様は植物を食べ物として人間に与えたのだ。

 だが、人間の現象の心は自分が本当は完全な存在であることに気付かず、ヤハウェというニセモノの神様が塵から造った存在である、と思い込んだ。

 皆さんもご存知の通り、人間の心とは不完全な存在である。実在の世界ではなくニセモノの世界、いわば夢のような世界を本当の世界と勘違いしているのだ。

 ところで、どうして人間は自分の心が不完全だと判るのであろうか?

「失礼な、私は完璧な心の持ち主である。」

という方が居られたらそれこそ神様であるから、新しい宗教でも作っていただきたい。

 多くの人間は自分の心が不完全な存在であることを認識している。だが、それは「完全な存在」を認識しているからこそ、「不完全な存在」であると認識できるのである。

 そして「本来不完全なもの」が「完全な存在」を認識することはできない。我々は「本来完全なもの」であるから「完全な存在」を認識することができ、そして自分の心は「不完全な存在」である、と認識できるのである。(続く)


人気ブログランキングへ