すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

人権と正統性

 

 最近Twitter上で、全労協で活動されていたマルクス主義の論客である登川琢人(敬称略、以下同)と興味深い議論をさせていただいているが、その中でも特に興味深い議論は人権をめぐる議論であった。

 私も登川も人権が普遍的なものであることであることは意見が一致しているが、「ならばどうして保守主義では天皇の権利と国民の権利が異なるのか」という問いかけが登川からあった。これについては私なりに回答はしたが、一度古典的保守主義の継承者たらんとする私の立場から人権論を書く必要があるように感じ、本稿を執筆させていただくこととした。

 私のような二十代前半の浅学の身で古典的保守主義について論じることは畏れ多いことであるが、古典的保守主義東京大学教授の宇野重規をして「今日の保守主義は、明らかに過去の保守主義とは異なる」[i]と言わしめる惨状であり、最早「過去」の思想として扱われてしまっている。そうではなく、この青い身においても古典的保守主義は生きていることを示すため、敢えて書かせていただいく次第である。

 

民主共和制の誤謬

 

 まず、人権論に入る前に言っておかなければならないことがある。

 天皇と国民が平等に(同等の)参政権を有するべきと言う主張、即ち、国家元首天皇である必要はなく、天皇だけでなく全国民が国家元首を選出する選挙人にも被選挙人にもなり得ると言う主張、つまり、国家元首を「民主的」に選挙で選ぶべきであるとするいわゆる「民主共和制」の主張は「道徳的に間違っている」という、厳然たる事実である。

 民主共和制が道徳的に正しいと言うのであれば、次の二つの命題を証明しなければならない。

 第一に、天皇よりも国家元首に相応しい人物が存在する、と言うこと。

 この命題が証明されない限り、民主共和制とは天皇よりも「相応しくない」人物を国家元首にする構想にほかならず、つまり、日本をより悪くする主張である。日本をより悪くするための主張が道徳的に間違っていること、言うまでも無い。

 第二に、国民が民主的に「天皇よりも国家元首に相応しい人物」を選出する保証がある、と言うこと。

 仮に天皇よりも国家元首に相応しい人物がいたとしても、もしも国民が国家元首に選ぶ人物が碌でもない人物、少なくとも「天皇よりも相応しくない」人物であれば、これまた民主共和制は日本をより悪くするための主張である、と言わざるを得ない。

 第一の命題については様々な意見があるであろうが、第二の命題について証明できたものは、管見の限りいないのみならず、そもそも証明できないことは明白である。

 今の永田町を見れば判る。国民が「民主的」にどのような人物を選ぶのかは、我々は敢えて言葉にせずとも体感として知っているのである。

 安倍晋三岸田文雄も、総選挙で国民の信任を受けたのである。自民党公明党の得票数は過半数に届かないと言うものもいるが、棄権を与党への消極的支持であると解釈すると(それ以外の解釈はしようが無いのであるが)圧倒的多数の国民が安倍晋三岸田文雄を選出することに同意した、少なくとも、積極的には否定しなかったのである。

 では、仮に民主共和制を導入して安倍晋三岸田文雄国家元首に選ばれたとしても、民主共和制論者はそのような制度を支持するのであろうか?そうであるとすれば、明白に天皇に劣る人物を国家元首にしようとしている人物であり、民主共和制が日本をより悪くするための主張であることを自白しているようなものである。万が一にも安倍晋三岸田文雄の方が天皇よりも国家元首に相応しいと言おうものならば、彼は正常な判断能力を失っている人間であるか、意図的に虚偽の事実を述べている人物のいずれかであること、言うまでも無い。

 このことを前提として(この導入でだいたい私の論点が見えてきたと思われるが)、本題である人権について述べたい。

 

天賦人権論

 

 まず、人権とは「勝ち取るもの」「与えられるもの」では無く「既に有しているもの」である。人権とは人間がアプリオリに有している権利である。これを天賦人権論と言う。

 このことは登川から異論もあるようであるが、人権についての保守主義のみならず一般に認められた定義であると考える。インターネット上の百科事典であるコトバンクの「人権」の項目[ii]をみると「人間が、人間として当然に持っているとされる権利。基本的人権。」(「精選版 日本国語大辞典」)や「人間が人間として当然に持っている権利。基本的人権。」(「デジタル大辞泉」)とあり、また「基本的人権[iii]の項目を見ると「人間である以上、かならずもっている権利をいう。単に人権あるいは基本権ともよばれる。個人はすべて生まれながらにして固有の、他人に譲り渡すことのできない権利をもっている。これが人権または自然権とよばれるものである。」(「日本大百科全書(ニッポニカ)」)、「人が生れながらにして,単に人間であるということに基づいて享有する普遍的権利をいう。」「生れながらにして当然に人間としての権利を有するという天賦人権思想」(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」)、「人間が人間らしく生きていくために必要な、基本的な自由と権利の総称。人間が生まれつき天賦(てんぷ)不可譲の基本的人権を持つということは、18世紀末の米国諸州憲法やフランス人権宣言(1789年)以来、各国の人権宣言や憲法に明記されてきた。」(「知恵蔵」)や「人が生まれながらにしてもち,国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利。基本権または単に人権とも。」(「百科事典マイペディア」)とある通りである。

 権利にも様々な種類があるから、人権については全ての人が「人間である以上」「生まれながら」に「当然に持っている」権利と定義して、他の諸権利概念と区別することが適切であると考える。

 この意味での人権思想の萌芽は一応、元禄2年(西暦1689年、皇暦2349年)にイギリスで制定された『権利の章典』にあると言うことが出来る。『権利の章典』は法典としては制定の形式をとったが、その内容の多くは「確認事項」であって「制定事項」では無い。

 また昭和23年(西暦1948年、皇暦2608年)の『世界人権宣言』においても「国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認」(外務省仮訳文[iv])したとあり、これまでも確認する人々がいた人権を「再確認」したのであって、従ってこの宣言に賛同しない国々が仮にあったとしても「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」(同)なのである。

 もしも人権が憲法や宣言があって始めて保証されるものであるならば、独裁国家無政府状態の地域には人権が適用されないことになってしまうが、そのようなバカなことは無い。人権は普遍的であるがゆえに、保証する者が仮にいなくても人権は守られないといけないのである。であるから、君主が国民の人権を侵害して、例えば有罪の判決が下る前に国民に罰金を支払わせていたイギリスにおいては、『権利の章典』で「刑罰の確定前の罰金などは違法であり、無効である」と国王に確認させたのである。このことは国王が認めてやっと「無効」になったのではなく、国王が認める前から本来無効であったことを確認したのであって、『権利の章典』にも「古来よりの権利と自由を擁護し、主張するために宣言する」とある通りである。

 人権の普遍性を主張するためには天賦人権論でなければならず、天賦人権論に立たないあらゆる論は人権の普遍性を否定することになる。そして天賦人権論の当然の帰結として、人権は定められるものでは無く、確認されるものであると言うことが出来るのである。

 

人権のその根拠による四類型

 

 さて、人権とは人間がアプリオリに持っている当然の権利であるが、ではどうして各人が人権を持っているのか、と言うその正統性の根源を考えると、人権はその正統性の根拠によって大きく次の四類型に分類できると考える。

 第一に、人間は皆かけがえのない個性を持った人格であるからこそ、有している権利である。これを「個性人格権」と名付ける。

 この権利は究極的には人間である事すらも権利主体の要件とはなり得ない。例えば「日野智貴」は「日野智貴」であるが故に「日野智貴」としての権利を行使するのであって、「日野智貴」が「日本人」であることも「人間」であることも「動物」であることも、究極的には生きている存在であるかどうかですら、問題にならない。「死人に口なし」と言う諺があるが、実際には死者への名誉毀損も罪に問われ得るし、仮に死者への名誉毀損をしても良いと言うような法があったとしても、そのような法は人権に反すると言わねばならない。

 この権利は『日本国憲法』第十三条における「すべて国民は、個人として尊重される」において確認された権利であり、これは「個人として」であって「人として」では無いことが重要である。自由民主党がこれを「人として」へと改訂しようとしていることは著名であるから、ここでは詳しくは論じない。

 第二に、人間は生物である、つまり、生きている存在であるからこそ(生命を表現しているからこそ)当然に有している権利がある。これを「生命表現権」と名付ける。

 従来の法学者は権利能力の主体であることの要件を「人格の有無」に求めてきたのであるが、人格は法律によっても扱いが変わるのであり、胎児のように限定的にしか権利能力の主体となり得ない存在についてはその人格の存在を認めるのか、否か、の議論が続いてきた。もっとも医療利権複合体とその別働隊であるプロチョイス勢力により胎児の権利は否認されてしまっているが、人権は全ての人間に与えられる権利である以上、いくら否認されても人間であれば胎児にも人権が与えられること、当然である。

 しかしながら、胎児に限らず人間以外の生命体についても当然「生きていること」ただそれだけで、法的な人格の有無に関係なく権利が認められなければならない。『世界人権宣言』第三条に「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」とあるが、動植物にも菌類にも原生生物にも「生命」があり「身体」がありまた彼らは自然界の法則に従って「自由」に生きているのであるから、この種の権利を人間のみに限定することは種差別である。もっとも自然界における「自由」には他の「生命」を奪って捕食することも含まれるから、この「生命表現権」の主張される場面は限られてくる。自然破壊等の場面においては「自然の生存権」と言う形で「生命表現権」が認められるべきであるが、人間中心主義である裁判所はそれを認めていない。

 第三に、全ての人間は動物である、私たちは「人間」であると同時に「動物」でもある、いわば「人間」を表現していると同時に「動物」をも表現して生きているのである。この全ての動物が有する権利を「動物の権利」(アニマルライツ)と言うが、動物を無人格とする考えが人口に膾炙している今においては、人間と動物との本質的同一性を前提とした用語である「衆生」を用いて「衆生表現権」とすることが適切であろう。

 アニマルライツを否定する者の中には肉食は人間の本能であると言うものがいるが、食欲は人間の本能であろうが、動物を殺すことは人間の本能ではない、むしろ、人間が本能的に忌避するところである。害獣駆除のために使命感を以て狩猟を行う者はいても、快楽目的で動物を撃ち殺すことを趣味としている者は、動物虐待者と同様の精神異常者であり、正常な判断能力を失ったもののみが行おうとすることは断じて「権利」では無い。令和元年(西暦2019年、皇暦2679年)に『やや日刊カルト新聞』の藤倉喜郎が「肉食は人間の尊厳そのもの」[v]と言って、動物の権利を守る観点から菜食を実践しているヸ-ガン[vi]には人間の尊厳が無いと言う極めて偏ったカルト思想を公言したのは記憶に新しいが、肉食をしなくとも人間が生きられることはヸ-ガンの存在そのものが根拠であるし、空海聖人や日蓮聖人と言った過去のヸ-ガンに人間の尊厳が無かったと言うものはいないであろう。なお、アニマルライツ思想を正面から否定した藤倉が人権侵害集団であるTRAに阿った記事を書いた事実[vii]は、アニマルライツヒューマンライツの関係を考える上で極めて示唆的である。

 『日本霊異記』には「仏は平等大悲の故に、一切衆生の為に正教を流布したまふ」とあり、仏は人間も動物も、それどころか天界の神々も地獄の者も全て「平等」に扱うと記されているが、これは大乗仏教の根本的な思想である。大乗仏教の菩薩戒でヸ-ガンであることが定められていることも偶然ではない。これについて「仏教思想は宗教であるから政治の世界に持ち込んではならない」と言う意見もあるかもしれないが、天賦人権論がキリスト教の中で唱えられた論理であるものの、その普遍性が確認されて非キリスト教徒の間でも用いられているように、衆生平等論も大乗仏教の教義を構成するものではあるが、非仏教徒にも適用されるべき普遍性があるのであれば、それは天賦人権論同様、積極的に認められなければならないのである。

 第四に、私たちは「人類」であることを表現しているが故に当然に有している権利がある。これを「人類表現権」と名付ける。

 いわゆる「精神の自由」は個性人格権を根拠とし、いわゆる「身体の自由」は衆生表現権を根拠として説明することも可能ではあるが、これらは「人間が人間として扱われること」を目的とした権利ではない。あくまでも「個体の権利」であって、自然界の中ではある個体がある個体に襲われたらそれに対して反撃して殺してしまうことも権利と言えるかもしれないが、それは「人間が人間として扱われること」にならないのである。人類社会においては人間が人間に襲われていたとしても被害者が加害者にどんな制裁でも加えられると言うのではなくして、加害者にも裁判を受ける権利が保障されなければならない。また動物が群れの中で弱い個体を捨てて生き延びるのも、自分が生き延びるために行使している当然の権利であると言えるかもしれないが、それを人類が行っても「人間らしく生きている」ことにはならないのである。

 多くの憲法学者は人権を「自由権」と「平等権」、「社会権」等に区分するのであるが、これを私は意味のある区分とは考えないのである。「個人としての自由」を言うならば人類社会から抜け出してどこかのジャングルの中で満喫すればよい話であるし、また「動物としての平等」を言うのであれば食物連鎖のある聖体形の中でオオカミやライオンと対等に渡り合えばよいのであるが、あくまでも「人間としての自由」「人間としての平等」を言うのであれば、それは「人類社会における権利」で無ければならず、従ってそれは「社会権」と一体のものである。社会権無き「自由権」や「平等権」は個体人格権や衆生表現権の類であり、それらは人間に人間としての幸せを与えないのであり、しかもそのような不完全な権利を人権として主張し人間以外の動物にそれを与えないことは種差別である。「人権」と言う以上は人類社会における権利が含まれなければならず、そして人類社会における権利にはいわゆる社会権が含まれなければ人権の意味が無い。

 従来の論者は人権のみを認め、動物の権利を一切認めず、場合によっては同じ人間であっても胎児の権利を積極的に否定し、また、人権思想を唱えつつ人権侵害たる徴兵制を積極的に擁護するものも存在し[viii]、そのせいで「動物には無い人間特有の権利とは何か」という問いが欠落していたのである。その問いがもしも存在すれば、仮に「人間特有の自由権・平等権」があったとしても、それはいわゆる社会権と不二の関係にあることが明白となっていたはずである。

 

人権と公民権との相違

 

 人権を考える上で重要なのは、人権と公民権とは異なると言う事である。

 今の日本において公民権は市民権(civil rights)の訳語としても使われているが、その市民権の定義を「コトバンク[ix]から引用すると「人間の天賦かつ不可譲の権利としての自然権とは区別される、実定法上の市民の権利」(「日本大百科全書(ニッポニカ)」)である。ここで言う自然権は天賦の権利を指しているようであるから、要するに私が先ほど論じた人権とは全く異質の権利である。

 元々市民とは都市(city)の有産階級を指す言葉であり、人権のように人間が生まれながらにして持っている権利とは異なる。フランス革命を起こした連中も寛政元年(西暦1789年、皇暦2449年)に発表したいわゆる「人権宣言」の正式名称を『人間と市民の権利の宣言』とし、人間としての権利だけでなく「市民の権利」をも追加で認めさせたのである。これは英訳にするともっと露骨であり、「人間と市民の権利」は英語では「the Rights of Man and of the Citizen」と訳されている。「Man」は男性を指す言葉であって女性は含まれないし、「Citizen」は「cityの住民」であると以外の解釈は不可能である。私はフランス語が判らないので原典でのニュアンスは判らないが、恐らく同様の意味であるはずである。従ってこれは「女性と田舎者を除外した権利宣言」とでも言うべきものであり、人間が生まれながらにして持っている正統性のある権利では決してない。しかもフランス革命期の独裁者であるロベスピエールは黒人奴隷解放の宣言に賛成したダントンを「植民地の喪失をもたらす法令を通過させた」と言う理由で処刑しており[x]、さらに『人間と市民の権利の宣言』第十七条には「所有は不可侵のかつ神聖な権利である」と記されて専らこの権利が有産階級向けであることが明白になっており、「女性と田舎者と有色人種と無産階級を除外した権利宣言」と言うのがその実態であったのである。なお、そもそも地方の土地は貴族のもので農奴には土地の所有権が無く、また女性の財産権も制限されていたし、有色人種の奴隷が無産階級であったことは言うまでも無い。その後の「市民権」の拡大に専ら「有産階級の仲間入り」と言うニュアンスがあったことは想像に難くない。

 こうした経緯からも明白なように、市民権とは普遍的な人権とは異なり、都市部の有産階級にだけ与えられた一種の「特権」であった。貴族と市民とを合わせて自由民(freemen)と言い、フランス革命では一方で貴族の特権を廃止し一方で市民の特権を維持・拡大すると言う、誠に筋の通らないことが行われたのである。ただその後市民の定義の拡張により自由民の数を飛躍的に増やした効果はあるが、イギリスでは国王や貴族をギロチンに掛けることなくそれが行われたのであるから、結果的に自由民の拡大に寄与したことを以てフランス革命における正統性の無い暴力を正当化することは出来ない。なお、女性の参政権が認められたのはフランスよりもイギリスの方が早いこと[xi]からも明白なように、君主制や貴族制度の否定が市民権を享受する対象の拡大に繋がるとは、必ずしも言えない。

 古典的保守主義の祖であるエドマンド・バークは市民権が一種の特権であることを自覚していたからこそ、このように述べた。

 

マグナ・カルタから権利宣言にいたるまで、この国の憲法をなす法律には一貫した方針があります。それはわたしたちの自由を相続財産とすること、つまり祖先から伝えられ、また子孫に伝わるものとして自由を主張し、断言することでした。しかもその自由は、ほかの一般権や優先権とはかかわりなく、この王国の国民に特に帰属する財産であるものとして断言されるのです。

 これによって憲法には統一性が保たれ、しかもその各部に大きな多様性をもたせることができました。こうしてわたしたちには、自分たちが受けつぐ世襲の王と貴族の身分があり、遠い祖先の系譜から特権と市民権と自由とを受けついできた下院と民衆があるのです。[xii]

 

 

 ここでバークが述べている「一般権」とはいわゆる普遍的な人権のことであるが、バークはフランスの市民が一般権である人権を主張したことを否定しているのではなく、市民権と言う特権を何の正統性も無く振りかざして「自国の王を投獄[xiii]し、同朋の市民を殺害し」[xiv]たことを批判したのである。

 人権は一般的・普遍的なものであるが、市民権は国家の存在を前提としている。従って国家の存在を前提とする限り、市民権はアプリオリなものでは無い。市民権を主張したいのであれば、それは「既に市民権が与えられていた」という事実を主張するほかはないのである。

 仮に市民権が王権によって奪われたと言うのであれば、その市民権簒奪の不法性を訴えればよいことであった。しかし、自分たちの特権が簒奪されたことを不法と言う以上、当然他者の特権も簒奪してはならない、これは当たり前のことである。

 

 自国の前の世代があまりぱっとしないようにみえたのであれば、そこを飛び越えてもっと前の世代まで先祖をさかのぼり、その人びとの主張を自分たちの源とすることもできたのではないでしょうか。[xv]

 

 市民権とは本質的に国家の存在を前提とするものであるから、これを人権と解釈することは出来ない。人権は無政府状態であっても主張できるだけの正統性があるが、市民権の正統性はその国家の内部でしか通用しないのである。

 

日本における公民権の歴史

 

 日本における公民権の根源は、神武肇国の際の詔の次の一節である。

 

苟も民に利あらば何ぞ聖造に妨はむ。

 

 無論、これが神話であることは言うまでも無い。私は神武天皇実在説を唱えているが[xvi]、当時の大和政権は大和一国を支配したかも怪しい状態であり(大和以外の地域を支配したのは第十代崇神天皇の頃からであろう[xvii])、いわゆる大和朝廷の成立、つまり日本が天皇を皇帝とする国家(帝国)となったのは、大宝元年(西暦701年、皇暦1361年)の律令国家成立の時点であると考えられる。

 しかし、その後建国の理念として神武肇国の際の詔が正史に記録された以上、「民に利」あることが大日本帝国という国家のコンセプトに含まれることは言うまでも無い。そうした中で誕生したのが「公民」と言う階級である。

 律令国家において国民は大きく自由民である良民と非自由民である賤民とに分けられ、良民は貴族と公民、雑色人とに分けられた。雑色人は公民権の認められない自由民であったが、公民への編入を求める訴訟が頻繁に行われ、天平16年(西暦744年、皇暦1404年)に雑色人の身分が廃止され公民へと統一された。「公民権を有しない自由民」と言えばアメリカ合衆国においてはインディアンや奴隷解放後の黒人が長らくその地位にいた。その意味では雑色人による訴訟は我が国における公民権運動に近いものであったと言えるかもしれない。結果的に我が国の自由民は貴族と公民とで構成されることとなった。

 貴族と公民はどちらも政治に参画する権利を持っている。貴族と公民を分けるのは位階で、貴族は従五位下以上の位階を持っており、また子供に位階を世襲させる特権(蔭位の制)を持っていた。公民にはそのような類の特権は無かったが、政治的発言権はあった。

 公民は別名を百姓と言った。百姓は文字通り「百の姓」つまり様々な氏姓(clan name)を有する階級のことを指す。貴族も公民も氏姓を有していることがその絶対条件であり、氏姓を喪失すると貴族でも公民でも無くなる。つまり、賤民階級に落ちて自由民では無くなる。藤原氏が「放氏」という手段(氏族から追放し氏姓を奪う事)で特定の官吏を事実上罷免させることにより氏族の統制を行っていたことは知られている。氏姓の存在がいわば貴族と公民に与えられた“特権”の象徴であった。

 日本における公民と西欧の市民とは「非貴族の自由民」と言う意味では同じであるが、その成立過程には大きな違いが認められる。西欧の市民は都市部に住むが日本の公民は寧ろ地方に住む農民が圧倒的多数であり、また政府も公民に対して農地を支給していた(これは賤民にも支給されていたが)。従って、公民の別名である百姓が後に農民の代名詞となったのも、決して故無きことではない。西欧の農民は土地の所有権が貴族にある農奴であったが、日本の農民は公民の権限によって天皇より下賜された農地を耕作していたのであり、その農地の所有権は貴族には無かった。

 こうした原則が崩れるのが中世である。一般には鎌倉時代以降乃至院政期以降の荘園公領制の確立を以て中世とする論者が多いが、それは当時の日本がより西欧の封建制に相似した体制であったからであろう。しかしながら、農地の所有権を農民では無く貴族が有することが一般化している体制、つまり、大多数の農民が無産階級となっている体制を封建制と再定義するならば、それは延喜2年(西暦902年、皇暦1562年)に最後の班田収授を行われた時点、即ち、政府が公民に対する農地支給を諦めた時点が封建制の成立であり、それを以て中世の始まりとするべきである。

 平安時代に頻発した百姓による訴訟は、百姓による奪われた公民権の回復を求める運動であった、と評価できる。結局百姓が土地の所有権を回復するのはそれから数百年もたった豊臣秀吉による太閤検地を待たねばならず、また豊臣秀吉による太閤検地律令国家の時代に行われていた班田収授のような資産の再分配を目的としたものでは無く、そもそも資産の再分配という発想は最早当時の政府からも庶民からも失われて現代に至っているのである。こうして確立した近世の新しい封建制とは、土地の所有権は貴族から百姓に移る一方、武士がその知行地に属する百姓に対して課税権や行政権、司法権を行使すると言うものであった。なお、いわゆる藩主や彼に仕える武士には土地の所有権が無いどころか、村落毎の支配権すらも有しない。いわゆる藩は地方行政を担う機構ではなく、百姓への支配は属人的なものであって、一つの村落に複数の藩によって支配されている百姓が属していることもあった。

 近世の百姓が公民としての政治的権利を回復したのは、村落自治に留まる。しかしその村落の単位が武士による封建支配の属人的単位(いわゆる「藩」)と必ずしも一致しなかったことは特筆すべきことである。村はしばしば「播磨国揖東郡船渡村」のように律令国家以来の単位である国郡の下に自らを位置づけており、本人の意識に関わりなくそこに律令国家における公民の名残を見出すことは可能であった。江戸時代後期に国学が盛んになると公民が本来持っていた地位を自覚する百姓は少なくなくなり、朝廷や神社より位階を授けられて地下官人や神職となるものが出てきた他、天明7年(西暦1787年、皇暦2447年)に多くの百姓が飢饉からの救済を天皇に求める「御所千度参り」が起きたように、天皇から過去に授けられた公民としての政治的権利の回復を求める民衆が次第に現れるようになってきた。結果として民衆の糾弾の矛先は武力による封建支配を押し付けている幕府だけではなく、過去に公民としての権利を奪い国家を私物化した公家にも向かうようになる。彼らの運動が結実して、慶応3年(西暦1868年、皇暦2527年)の「王政復古の大号令」では幕府のみならず摂政関白をも廃止されたのであった。

 明治元年(西暦1868年、皇暦2528年)に明治天皇が『五箇条の御誓文』を著されその中で「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」と明記され「庶民に至るまで」公民権を回復することが明言された。これは名誉革命における『権利の章典』と同様、公民が本来持っている権利を確認したものであって、公民の権利を抑圧していた従来の封建体制こそが「舊來ノ陋習」であるとして何ら正統性を有しないものであるとして否定されたのである。

 

正統性のある権利

 人権とはどのような状況であっても人間が人間であれば当然に有している権利であって、如何なる場合においても人間は人権を主張する正統性を有している。これとはやや異なるのが公民権である。

 公民権は国家の存在を前提とした権利である以上、それはアプリオリに存在する権利ではなく、その正統性は国家の正統性と一体である。権力者が不当に公民権を侵害した場合においてはイギリスの名誉革命や日本の明治維新のように公民権があることを確認させることが認められるが、フランス革命のように国家自体を亡ぼしてしまうと却ってその公民権の正統性を証明できなくなる。

 保守主義が正統性を重んじると言うのはまさにこのことであって、革命と言うのは敵である権力者を亡ぼすと言う意味ではとても溜飲が下がることであるが、自分たちの正統性をも傷つける危険を常に孕んでいるのである。

 無論、フランス人はフランス人であるからフランス共和国の市民権を持つのは当然である、と言う理屈も或いは成り立つかもしれないが、その「フランス人」の定義すらも曖昧であることは、今のフランスの移民問題を見ても明白であろう。結局、移民たちから見るとフランス人が当然に有している市民権とは何ら正統性のない、ただ自分達よりも先にこの地に来たと言うだけの理由で与えられる「特権」の一種に過ぎないのである。

 私たちは「普遍的な公民権」など存在しない、ということをまず認識するべきである。仮に普遍的な公民権があるのであれば、それは世界連邦が実現した後のことであろう。

 保守主義において人権も公民権も既にある権利であって、それらは回復の対象であっても獲得の対象ではない。正統性の無い権利を主張する下克上は社会に無用な混乱を生み、却って不幸を増やすのである。

 

 

[i] 宇野重規(2016年)『保守主義とは何か』16頁

[ii] コトバンク「人権」https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E6%A8%A9-81632(2022年2月12日閲覧)

[iii] 同「基本的人権https://kotobank.jp/word/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9A%84%E4%BA%BA%E6%A8%A9-51583(2022年2月12日閲覧)

[iv] 外務省「世界人権宣言仮訳文」https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html(2022年2月15日閲覧)

[v] 藤倉喜郎・鈴木エイト(2019年)「声明」(「動物はおかずだ歩き食い祭り」)

[vi] ヸ-ガンは英語でveganと表記されており、これについてはやや侮蔑的に「ビーガン」と表記する者が少なくないが、そもそも「v」音と「b」音に共にバ行の表記を行うことを求める従来の国語政策が妥当か否かは異論のあるところである。この観点から「ヴィーガン」という表現を行う者も少なくないが、一般に「v」音は「w」音の濁音であると見做されていることに鑑み、我が国では「w」音はワ行の表記を行うのが原則であったところ、GHQによる占領政策によってワ行の仮名文字の一部が事実上廃止されてしまったと言う経緯があることから、そのような占領政策を拒絶する意味でも「v」音が子音の言葉はワ行の言葉に濁点を付けることで表現するのが望ましいと言え、一般に分かりやすくするためには「ヴィーガン」が良いとは思うものの、最適な表記は「ヸ-ガン」であるべきと考えた。

[vii] 拙稿(2021年)「【代表談話】藤倉善郎氏による偏向報道について」(日本SRGM連盟公式サイトhttps://acecommunitywestjapan.amebaownd.com/posts/24397054

[viii] ジャン・ジャック・ルソーが徴兵制論者であったことは著名であるが、現代日本憲法学者においても樋口陽一小林節との対談本である『「憲法改正」の真実』(2016年)において自身が護憲派であることを前提とした上で「もし改憲して専守防衛国防軍を作るというなら、その軍隊は国民主権の論理に基づき、徴兵制でなければならない」という旨、述べていた。これは徴兵制を採用している国民主権の国(韓国やロシア等)の国民による徴兵制廃止運動を正面から否定する論理であり、軍隊を廃止した日本においては人権思想と言いうるかもしれないが、全くその普遍性が無い理屈であると言わざるを得ない。

[ix] コトバンク公民権https://kotobank.jp/word/%E5%B8%82%E6%B0%91%E6%A8%A9-523890(2022年2月15日閲覧)

[x] 浜忠雄(2019年)「フランスにおける「黒人奴隷制廃止」の表象」『北海学園大学人文論集』66号

[xi] パリ・コミューンにおいて女性に参政権が認められたと言う主張もあるが、①パリ・コミューンは短期で終結した単なる反乱であること、②コミューン議会の選挙権は男子に限定されていたこと(高橋則雄2018年「パリ・コミューンの女性たち -「女性同盟」を検討する-」『専修総合科学研究』第26号)、等からこのことを以てフランスがイギリスよりも先に女性参政権を認めたとは到底認めることが出来ない。

[xii] エドマンド・バーク(1790年)『フランス革命についての省察』二木麻里訳(2020年)72頁

[xiii] バークが『フランス革命についての省察』を著した時点では、まだ「投獄」であった。この後「議会による裁判」と言う、司法権の独立など皆無な状況でルイ16世は処刑される。

[xiv] バーク前掲書87頁

[xv] バーク前掲書78頁

[xvi] 拙稿(2020年)「戦後学界は「神武天皇実在説」にどう反応したのか」『古田史学会報』161号

[xvii] 拙稿(2019年)「河内巨大古墳造営者の論点整理――倭国時代の近畿天皇家の地位を巡って」『古田史学会報』153号