すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

蓮田太二先生の志を引き継ぎ『実子特例法』制定と「未受診妊婦ゼロ」で赤ちゃんのいのちを救え!

 「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)で有名な慈恵病院院長・蓮田太二先生の訃報は残念でした。

note.com

 しかし、故人の死を嘆くわけにも行きません。故人の志を引き継いでこそ、故人が浮かばれるのです。

 大熊良樹先生は禅僧でもあり、私が僧侶次第にとてもお世話になりましたが、蓮田太二先生はクリスチャンでした。このお二人は、宗派の違いを超えて共に多くの赤ちゃんのいのちを救われていました。

 晩年、蓮田太二先生は「内密出産」を提唱されました。これは特別養子縁組とは異なり、様々な事情で最初から匿名で子供を産むというものです。

 しかし、日本ではかなり以前から『実子特例法』の議論があったにもかかわらず、それが全く進んでいないため、法整備なき状態の内密出産は賛否両論あることになります。

 私は、菊田昇医師事件以来の生命尊重の先人たちの悲願である『実子特例法』の制定を訴えていきたいと考えます。

 また、大熊良樹先生の未受診妊婦ゼロ運動も支持します。

mamoruoyanokai.livedoor.blog

 

 目指すは、赤ちゃんも妊婦さんも、誰一人として犠牲にならない社会の実現です。

「いのち」には“生産性”では測れない尊さ(絶対の価値)がある!

 アセクシャルの界隈では、今でも杉田水脈先生の「生産性」発言が話題となっています。
 これは『新潮45』2018年8月号における杉田水脈先生の論文に「LGBTには生産性がない」という旨の記述があったもので、アセクシャルLGBTでは無いですが、その「異性愛とは違い、子供を作らない」という批判は、アセクシャルにも当てはまるものでした。
 私は、別に何年も前の杉田水脈先生の論文を今ここで非難しよう、と言う気はありません。杉田水脈先生とは(杉田先生が自民党に入る前ですが)直接お会いしたこともあります。私は今の杉田先生は、残念ながら「自民病」に罹患してしまったのだ、と思います。
 というのも、この杉田論文、前半部分はAce当事者の私が読んでも、対して違和感はありません。ただ、後半部分になると一気に粗雑になってしまっているのを感じます。
 杉田論文のこの一節を読むと、杉田先生が本来はLGBTやAスペクトラムを含むSRGMにも優しく寄り添う心を持っている、そう言う人間であることが判ります。

 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。


 両親には限らないのですが、世の中の人々が「性的指向を受け入れてくれるかどうか」ということは、杉田先生も言われている通り、重大な問題です。無論、これは「恋愛指向」ジェンダー自認」でも、同様です。
 菅直人元首相はかつて、名古屋で演説した際に、愛知県民に向かって
「愛知も東京も経済がいい。生産性が高いといわれるが、ある生産性は、一、二を争うぐらい低い。子どもを産む生産性が最も低い
等と発言した、と言います。まるで子供を「生産」する道具であるかのように言うのは、生命軽視の発想です。
 生命には生産性を超えた、絶対の価値があります。
 無論、子供を育てることは、素晴らしいことです。私も「いのちを守る親の会」という団体に入って、望まない妊娠から妊婦さんと赤ちゃんを救う活動を支援しています。
 最近、いのちを守る親の会とも協力関係にある「赤ちゃんポスト」で有名な慈恵病院が「内密出産」を導入したところ、それを非難してくる人が出てきました。残念なことです。
 何らかの事情で子供を育てられない人も、世の中にはいます。そういう人が、赤ちゃんの命を断つことになる「中絶」ではなく、誰かに赤ちゃんの命を託す「内密出産」と言う選択をする、一体、それのどこがいけないのでしょうか?
 現在、公式の統計だけでも年間15万件以上の中絶が行われており、実際には「闇中絶」が少なく見積もってもその3倍から5倍存在する、と言われています。
 そうした赤ちゃんの命を、救えるものならば救いたい、それが慈恵病院の想いなのでしょう。内密出産を非難するのは、中絶を推奨するのと同じであり、「いのちに線引きをする」生命軽視の発想です。
 事実、世の中には不妊症等によって子供を育てたくても育てられないカップルが、10万組以上存在します。

warai88waraikun.hatenadiary.jp


 そして、「アセクシャルだけど、赤ちゃんは欲しい」という人達も、少なからず存在するのです。
 アセクシャルは人口の0.8%もいると言われていますから、日本全体でアセクシャルは少なくとも800万人以上いる訳です。その中で子供が欲しい人はどんなに少なく見積もっても1%以上はいますから、最低で8万人以上。
 望まない妊娠に悩む妊婦さんを鋤くために始まった、特別養子縁組制度。この制度はまだまだ改定が必要ですが、救える命は沢山あるのです。
 少し、話が逸れました。子供を育てる人は、子供のいのちを守るという尊いことをされているので当然素晴らしいのですが、そもそも子供がいない人も素晴らしい“いのち”です。

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「多様も恋愛も、恋愛しない人生も、全て尊重しあうコミュニティ」(関西Aceコミュニティ)

 繰り返しますが、いのちには生産性では測れない「絶対の価値」があります。
 異性愛者でも、子供を育てない、持たない選択をするカップルはいますよね?
 逆に、アセクシャルカップルが養子を持つことも、あり得ます。
 「異性愛者(ヘテロセクシャル)」と「無性愛者(アセクシャル)」と言うと、全く異質の存在のように見えますが、私たちは同じ存在なのです。
 “生産性”なる言葉で、いのちに線引きをすることは、できません。

 なお、最後にちょっと蛇足になりますが、冒頭で紹介した杉田水脈先生はLGBT当事者に対して「本当にごめんなさいね」と謝罪しています。

 

 自分の間違いを認めて謝罪するのは、勇気のあることだと思います。私個人は自民党に所属している議員は応援したくありませんし、杉田水脈先生は自民党を離党した方がその素晴らしさを活かせる方だと思っていますが、明確に謝罪の言葉を述べられた今回の勇気には、感動しました。
 他の政治家の方にも見習っていただきたいものです。

子供は無事なのに「遺棄で逮捕」?“桑を指して槐を罵る”前にすべきこと

こんなニュースがありました。

www.yomiuri.co.jp

子供二人を自宅で置き去りにした夫婦が、遺棄容疑で逮捕。それだけ聴くと確かにふざけていますし、それは事実なのですが、過剰なバッシングはどうかな、と考えます。

この「事件」ですが、子供は無事元気です。先ずは、その事を祝福してあげるのが、人の道です。
父親が無職と報道されていますが、奥さんは派遣社員ですし、フリーターでも報道では無職になることがあります。何らかの事情で失業していたのかも、知れませんね。
育児の大変さを考えると、最初から殺してしまう中絶よりも、子供が三歳になるまで頑張り、衰弱もさせず元気に育てている分、遥かにマシだと思いますよ。

記事には次のように記していますね。

11~21日に同市内のビジネスホテルに滞在しており、「夫婦2人でゆっくり過ごしたかった。食事は数回(自宅に)持っていった」と供述しているという。

身勝手な言い分ではありますが、常に家を空けて言訳ではなく、子供に目立った外傷もなければ衰弱もしていない訳ですから、最低限の務めを果たしてはいるわけです。
産まれてきた後は社会の責任もあります。一方的に断罪するのは、中絶を推奨しているようなものです。


誤読するアホが絶対出てくるので、念のために言いますが、言うまでもなくこの両親はクズです。
しかし、クズな親だからと言って断罪する人が多い結果
児童相談所による職権濫用
・経済的理由による中絶(胎児殺害)
と言ったことが誘発され、更に悪い現象が現れてしまいます。
そもそも、家族の絆や地域の絆がもっと強い社会であれば、子供たちだけが家に放置されるようなことには、なっていなかったはずです。
この二人を断罪する暇があれば、他に育児を頑張っている夫婦を助けたり、家制度復活のために活動したり、するべき事は山ほどあるのです。

関西Aceコミュニティオフ会無事開催!!

去る7月11日、関西Aceコミュニティのオフ会を無事開催することが出来ました。

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関西Aceコミュニティ令和2年7月オフ会の様子

参加者の皆様、本当にありがとうございました。

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関西Aceコミュニティの画像

今回は「参加費無料」としましたが、会場を借りるのに1万8千円近い自腹となってしまいました。💦

もっとも、参加者の皆様が優しくて、一人500円~1000円のカンパをしてくれましたが、こうなるんであれば、最初から参加費を決めていた方が良かったかも、知れません。

今回の参加者は「アセクシャル」(無性愛者)だけでなく「アロマンティック」(無恋愛者)の方もいました。

便宜上「Aceコミュニティ」を名乗っていますが、私たちは全ての「Aスペクトラム」の方を対象にオフ会を開催しています。

「Aスペクトラム」とは

・Ace(アセクシャルスペクトラム

・Aro(アロマンティック)スペクトラム

・Aple(アプラトニック)スペクトラム

・アセンシュシャルスペクトラム

・アアエステティックスペクトラム

・アクィアプラトニックスペクトラム

等々の、様々な「傾向」の方のことです。

「Aスペクトラム」を含むすべてのSRGMの方に幸福を。

すべての「いのち」が尊重される社会の実現を。

私はこれからも目指してまいります。

 

ちょっと今朝の夢の話をするね(どうでもいい話)

 どうでもいい話なんだけど、頻繁に同じ夢を見ると「何かの暗示?」とか「潜在意識のなんちゃら」って気になりますよね?

 今回、何と「夢の中で夢の意味を説明される」という貴重な体験をしたのである!

 私って実はね、「歯が抜ける」夢をよく見るんですよ~。

 で、いっつも夢の中で思うのは、一緒。それは・・・

「あああああああ!これまで歯が抜ける夢は何度も見たけど、本当に歯が抜けてしまった!!」

と、夢の中で思うってやつ。(笑)

 今朝もそう言う感じの夢を見たんですよ。

「うわぁ、悪夢だ!!!」

と思って目を覚めると、なぜか私は三ノ宮駅近くのJRの高架下ぐらいにありそうな交差点にいたという・・・。

 うん、これ、明らかに「夢から醒めても夢だった」っていうやつだよね。

 だけど私、その時は自分が「夢から醒めた!」と思っていたから(笑)、何の違和感もなく。

 で、そこには母がいたんですよ。その母に

「歯が抜ける夢と言うのは、自分が守られたいのに守られないという、不安があるからです。」

と説明をされて「なるほど!」と思ったんです。

 そんな夢の中で見る夢占いで当たっているの?というツッコミはそこでは止めていてね。(笑)

 それで私は何故か「家に霊的に良くないものがあるから悪夢を見たんだ!」と、夢の中で(笑)考えて母と一緒に家の中を検証。

 勝手口から居間に入って、昨日大掃除で事実上のリフォーム状態になった、家具とかが完全に変わっている居間に行くと、私が

「ここだ!ここに霊がいる!風水上よくないはず!」

すると母

「え?何もないけど?風水?」

そもそも、風水って母の方が詳しいわ。(笑)夢の中で何言ってんだ、私。

 なんだけど私、夢の中で「そう言えば、昔祖母に似た幽霊を見たなぁ」と思いだして怖がる。(※祖母は生きています。)

 実は一時期、複数の人が家で女性の幽霊を見ることがあって、私も見ていたんですよね。幼い私はそれを祖母と勘違いして、だけど祖母は別のところにいて・・・という怪奇話ももう十年以上前のことで、今ではだれも見ていないんだけど、夢の中で勝手に思い出して夢の中で怖がっている私。

 そして、裏庭を母と歩いているといきなり祖母が現れるんです。

「え?こんなところに出入口あった?まさか、例の幽霊?」

と思ったら、なんと窓から祖母が外に出てきたというオチ。(※実際の祖母は貴婦人って感じの方でそんなことしません。)

 で、祖母が母に

「ちょっと!学園前駅まで車で送ってもらうんでしょ?急がないと!」

私が「え?奈良の学園前駅?」と、脳内で「?」だらけになっていると、さらに

祖母「JRの学園前!(※私の脳内で大阪の「JR学研都市線」と混同された模様)」

母「それは学校の前の駅という意味!本竜野駅や!」

という会話が!

「学園前、学校の前・・・アハハハハハ!」

と、夢の中で大爆笑をすると目が覚めました

 最初に書いたとおり、どうでもいい話です。すみません。

龍宮住吉本宮から「天孫降臨皇御国成就」の神符が届きました


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 今日、龍宮住吉本宮から「天孫降臨皇御国成就」の誓願符(神符)が届きました。ありがとうございます。

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 龍宮住吉本宮は長崎にある神社で、天之御中主大神高御産巣日神神産巣日神の「造化の三神」と住吉大神とを祭祀しています。

 この「造化の三神」というのは、『古事記』の冒頭に「独り神」であると記されています。


 最近、この「独り神」というのを「独身の神」と解釈される方が少なくなく、皇族の血を引くような方明治天皇陛下の女系の玄孫としてテレビにもよく出る、憲法学者でも間違えておられるのですが(その方は國體を学んでおられない方なので仕方は無いですが、本来は国民教養であってほしいものです)、これは「一体の神」である、という意味です。

 昨日、私は京都地蔵文化研究所で講演をさせていただき、講演後の懇親会で若干説明させていただいたのですが、『古事記』の文脈上「独身の神」と解釈すると問題があります。そういう専門的なことも、いずれ文章として発表したいと思います。

 住吉大神は私の修行していた宝蔵神社の御祭神でもありますが、宝蔵神社では「すみよし」龍宮住吉本宮では「すみのえ」と発音する、という違いがあるそうです。ただ、宝蔵神社神職の先生から「そういう違いがあるのだけれども、拝んでいる実相(本質)が一緒だと判っていれば問題ありません」という旨のことを言われたことがあります。

 戒師・佐々井秀嶺上人に啓示を下した龍樹菩薩と、宝蔵神社にある住吉大神の御神像は同じ姿をしておられる、と佐々井上人が言われていましたが、これは仏教と神道の本質が一体であることを暗示しているように感じます。

 さて、龍宮住吉本宮で祈らせていただいている「天孫降臨皇御国成就」ですが、これは言葉だけを見ると「日本のことだけを祈っているのか」という誤解をされる方も出てくるかも、しれません。

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 しかし、この神符にも横に「神・自然・人間の大調和」「宇宙浄化・世界平和」と書いてあることでも判るように、これは日本だけではなく、世界の平和を祈らせていただくお札であります。

 ここにおける「皇御国」とは「人と人、民族(たみ)と民族(たみ)、国と国、生物種と生物種が相争うことなく相敬い、相結び、相和し、神・自然・人間の大調和せる地上天国」龍宮住吉本宮から届いた同封の手紙より)のことであります。

 これは龍宮住吉本宮だけの特殊な思想ではなく、「皇御国」の本来の意味を説明した者であって、私は真言宗の法脈を汲む僧侶(沙弥だけど)でありますが、真言密教の即位法文書において天皇陛下は「四洲の衆生を仁恵で覆う」存在である、とされています。

 事実、今上天皇陛下も即位礼の際に「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添」われることを述べられ、日本だけでなく世界の平和を祈られている、ということを明確に述べられております。

 私も天皇陛下への報恩感謝の意を込めて、世界平和実現のために「神・自然・人間の大調和」を目指させていただきます。

すめらみこといやさか
すめらみくにいやさか
すめらみたみいやさか


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舎利弗でも剥がせなかった天女の花びら


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 私の法名の「龍子」(ナーガプトラ)は、舎利子(舎利弗、シャーリプトラ)から来ているそうです。

 戒師の佐々井秀嶺上人は私が日本に戻る直前、「頑張れ龍子!頑張れ舎利子!舎利子とは舎利弗と言う意味だ!」と言ってくださりました。

 舎利弗と言えば「智慧第一」のお釈迦様の弟子ですから、誠にありがたい言葉を戴いたわけでありますが、それは別に私に智慧があるからではない模様です。

 ある日、佐々井上人は私に他の弟子について「あいつらは智慧はあるけど、理は無いんだ。智慧と理の双方が必要なんだ。もっとも、お前は理だけだからもっとダメだ。」と言われたことがあります。

 これ、どう解釈しても「お前には智慧がない」という意味ですよね。[E:#x1F4A6]

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 一方で佐々井上人は「こいつは各宗派の教学についての知識が深いんだ」とも言ってくださりましたが、知識と智慧は違う、ということを言いたかったのかもしれません。

 智慧第一の舎利弗もお釈迦様に『法華経』の真理を教えてもらおうとした際には三度も拒絶されています。

「下手に『法華経』の真理を教えると増上慢に陥って地獄への大穴に落ちてしまうぞ!」byお釈迦様

 「知識」だけだと悟りを開くどころか、却って地獄に落ちる原因になりかねない訳ですね。

 さて、この舎利弗が登場するのは『法華経』だけではありません。『維摩経』にも登場します。

 私は山王神道天台宗系の神仏習合の聖地で現在も「神仏習合・万教帰一」の立場から阿弥陀如来地蔵菩薩、観世音菩薩を祭神に加えている「宝蔵神社」で修行していたことがあるのですが、そこの長田忍先生は研修生に対して何十年も『維摩経』の講義をされています。

 『維摩経』は出家ではなく、在家の菩薩である維摩詰(ヴィマラキールティ)を主人公とするお経です。

 「○○菩薩」というと、ついつい「菩薩と言われるぐらいならば、エライお坊さんなんだなぁ」と思ってしまいがちですが、大乗仏教では菩薩行に出家・在家の区別はありません。

 インド仏教復興運動の祖であるアンベードカル菩薩も在家の信者(政治家)です。大乗仏教は僧侶だけの宗教ではない訳です。

 佐々井秀嶺上人も信者から「ワンダミ・バンテージ!」(尊敬します、上人様!)と言われると怒ります。「ナモー・ブッダ」(お釈迦様に帰依します)か「ジャイ・ビーム」(アンベードカルに勝利あれ)か、に言い換えさせます。

 バンテー(僧侶)だからエライ、と言うわけではないからです。だからこそ、大乗仏教では神仏習合もできるのです。

 「八幡菩薩」は応神天皇です。天皇陛下も菩薩として崇敬しているからこそ、各地の神社で八幡様が祀られて、今でも八幡宮に集団参拝する僧侶がいるのです。

 宝蔵神社も出家したお坊さんがいるわけでは、ありません。みんな「在家」です。在家のまま菩薩行を実践しよう、と言うのが宝蔵神社での修行でした。

 そんな「在家の菩薩」の元祖とも言うべきが維摩です。


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 維摩詰は優秀な実業家であって、おまけに菩薩行にも邁進している高徳の人物である、その維摩詰が病気にかかったと言うので、文殊止利菩薩以下お釈迦様の弟子たちがお見舞いに行きました。その中に舎利弗もいました。

 文殊菩薩が「どうして偉大な菩薩である維摩詰が病気になるのですか?」と聞いたところから維摩詰の説法が始まります。

 その説法の内容も深いのですが、長くなるので割愛すると、説法を聞いているうちに天女が上の方から花びらを降らせてきたのです。

 それを見た僧侶は驚きます。「具足戒」という戒律により、花びらを身に付けることを僧侶は禁じられています。それで「智慧第一」の舎利弗は一生懸命、花びらを剥がそうとするのですが剥がせません。

爾の時、天、舎利弗に問う、「何の故ぞ華を去る。」答えて曰く、「此の華、不如法なり、是を以て是を去る。」(『維摩経』「観衆生品」より)

 華などに心を奪われるのは「法」つまり「真理」(ダンマ)に反している、だから具足戒でも花で身を飾ることは禁じられている、それなのに天女はあえて誘惑するかのように花びらを降らす、するとそれについて天女は

「出家していても『これは如法だ、これは不如法だ』と言って物事を分別する、それこそが不如法です。」

と言い返します。これについて、宝蔵神社再興の祖でもある光明思想家の谷口雅春先生は次のように述べられています。

 この天女の言葉は、まことに素晴らしい真理を穿っているのであります。天女から雨ふらした花びらは、天女の誘惑の象徴であります。誘惑を誘惑とし、それから逃れようとするとき、却って誘惑は自分の身體について離れないということになるのであります。これは病気の場合でも同じことであります。誘惑も「道徳的病気」と観ることができます。「病気」を悪であると認めて、それから逃げ出そうと思って、「病気、病気、この病気を如何にして自分から引離そうか」とあせりましても、それは舎利弗が自分の身に膠着してはなれない天華を引離そうとして踠いても、いっこう、その天華がはなれなかったと同じように、「病気」は引離れないのであります。それは心に病気を描いているからであります。天華が善でも悪でもなく、人間の分別を超えて、「そのまま」であるように、病気も善でなく、悪でなく、人間の分別を超えた存在であり、病気を思い詰めれば、病気をはなそうと思ってもかえって膠着して離れないのであります。谷口雅春先生『維摩経解釋』318~319頁)

 この後、天女は神通力で舎利弗を女性に変えてしまったり、明らかに舎利弗は天女に遊ばれているのですが、それはともかく「誘惑」にしろ「病気」にしろ、それを放そう、離そうとしている内は離れない、ということです。


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 そう言えば昨日、谷口雅春先生の孫で「国際平和信仰運動」指導者の谷口雅宣先生の講演会を聞きに奈良まで行ってきました。

 そこにはとある宝蔵神社神職の奥さんが参加していて、私はその方とはかつて一緒に修行したこともある仲間ですから、隣に座って一緒に話を聞いていたのです。

 私は事情があり遅れてきたので雅宣先生の話をすべて聞いているわけではないのですが(私は先週も雅宣先生の講演会に参加していましたし)、その奥さんによるとこの日もとても素晴らしい講話だったそうで、遅れてきたことをやや後悔しています。

 もっとも、私が聴いただけでも素晴らしい話で、例えば肉食についてジビエや代替肉について質問が来た時に、雅宣先生は

ジビエは環境問題の観点から、代替肉は命を殺さないという意味では、それぞれセカンドベスト、サードベストかもしれない。しかし、肉を食べるのを我慢するということでは、隠れて肉食をすることになるかもしれない。我慢するのではなく、自然に肉を食べたくないという風になってほしい。」

という旨のことを言われていました。「誘惑」というと女性からの誘惑や美しい華の誘惑もありますが、「肉食の誘惑」についても「我慢」するのではなく、本当に「肉食をしたくない」という心境になるのが肝要であると思います。

 今では菜食主義者の私も「肉を食べたい」と思っている内は、肉食をやめられなかったですから。(笑)

 さて、問題はその後であります。ある方からこんな情報を提供されました。

「日野君が神職の奥さんの○○さんといちゃついていたという噂なんだけど。」

 イチャツイテねぇわ!!ふざけんな![E:#x1F4A2]

 菩薩戒には「決して怒ってはならない。仮に親が殺されても怒ってはならない。」とあるのですが、煩悩深き私は自分の貞操が疑われると激怒します。直ちにこんなLineを送りました。

「取り敢えず、私と○○がいちゃついたとか言った奴、誰か判らないけど教えて!合法的乃至完全犯罪で抹殺してやる。

 得度しても何も変わっていない私に対して、とある女友達がこうアドバイスしました。

「そういう噂を流す人は、好きな女の子をいじめる小学生男子と一緒だから、過剰反応したら却って喜ぶ。笑ってやったらいい。」

「そんな哀れな人に強く当たらずにするのが聖人やね(他人事だから冷静に考えられるけど、自分だったら日野くんと同じように過剰反応すると思う)」

 なるほど、とこれで私も落ち着きました。それで床についても布団の中でも怒りの収まっていなかった愚禿・龍子は、ようやく眠りにつきました。

 「デマを流すな!」というのは「分別の心」「理の心」としては、正当な感情です。しかし、それだけでは却って「不如法」(仏法に反する)結果となってしまうのです。

 「理だけであってはいけない」と佐々井上人が教えてくださった訳ですね。


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