「イスラム国」への報復に違和感――テロリストの「正義感」に根拠を与えるだけの「テロとの戦い」の実態
今回のフランスでのテロ事件に関する世論の反応には、かなりの違和感を抱いている。
昨日の朝刊には、フランス・アメリカ・ロシアの三国が、「テロへの報復」と称して一斉空爆を行った、と報じられていた。普段は仲の悪い三国が、対「イスラム国」では、協働して軍事活動を行っているわけだ。
しかし、今の時代、アルカイダや「イスラム国」のテロで亡くなった人よりも、フランスやアメリカ、ロシアといった有志連合軍の空爆で殺された人のほうが、はるかに多い。
フランスに対する無差別テロも許されないが、そのフランスだって、シリアやイラクへ民間人も巻き添えにした空襲を行っている。そして、今回、仲の悪いアメリカやロシアとも手を組んで、「テロとの戦争」をさらに遂行しようとしている。
そもそも、人はなぜ戦うのかというと、正義感があるからだと、私は思っている。経済的理由だけで戦争が起きるのであれば、自爆テロなど、起きるわけがない。今回のフランスでも自爆テロが起きた。
誤解を恐れずに言うと、テロリストは「私利私欲」で戦っているのではなく、彼らなりの「正義感」で戦っているのである。(無論、その「正義」の内容が間違ているわけだが)
それでは、「イスラム国」をはじめとするテロリストは、日本でいうオウム真理教信徒のような、狂信的な犯罪者なのであろうか?
状況を照合する限り、決して、そうとは言えない現状がある。
例えば、「イスラム国」が始まったのはシリアであるが、「イスラム国」ができる前のシリアがどのような状況であったか、皆さんは覚えておられるだろうか?
当時のシリアの政府であるアサド政権(今も正統政府を名乗っている)は、「殺人マシーン」の異名を持つほど、徹底した独裁国家であり、多くの無実の市民を殺害していた。
こうした中で、「反アサド政権」を訴える複数の団体が武装蜂起したが、その代表格であるシリア国民評議会はアメリカの傀儡であり、さらにいうと、シリア国民評議会系の軍事組織も、イスラム戦線と自由シリア軍とに分かれ、味方同士のはずなのに物資の取り合いをしている。
私がシリアの人間であったら、「殺人マシーン」のシリア政府や、仲間同士で喧嘩ばっかりしているシリア国民評議会よりも、「イスラム国」のほうを支持していたかもしれない。それぐらい、今のシリアはひどい状況にある、ということだ。
にもかかわらず、国際社会はあたかも「イスラム国」だけを「諸悪の根源」扱いして、「イスラム国」の支配地域への空爆を行っている。日本政府もそれを支持した。
アメリカに至っては、「今回は空爆で何千人殺した」と、ホワイトハウスのホームページで自らの殺人行為を自慢している。その中に、一般市民が何人含まれているのであろうか?アフガニスタンでは「国境なき医師団」の施設を「ピンポイント爆撃」したアメリカである。国際人権団体の報告を照合すると、有志連合軍の空爆ですでに何千人もの一般市民が殺害されている。
フランスも有志連合軍に加わっている。そして、彼らが殺した一般市民のほうが、フランスでのテロで殺された一般市民よりも、はるかに多い。
このまま空爆を繰り返しても、「憎悪の連鎖」を産むだけである。
日本人は、大東亜戦争で無差別空襲を受けて苦しんだ民族のはずだ。
ならば、テロ犠牲者を追悼するのもよいが、一方で、フランスやアメリカ、ロシアによる「戦争犯罪」については、はっきりと糾弾する必要がある。
今の日本の世論には、かなりの違和感がある。
後藤健二さんが殺されて以来、この国のマスコミは、リベラル派の新聞も含めて「イスラム国」憎し、の一色に染まってしまった。
テロとの戦いに「戦争参加法制」を適用するような真似だけは、絶対にしてほしくないと思う。
確かに「イスラム国」が許せない、という心情は理解できるが、そのために一般市民をも巻き添えにした作戦を続けると、テロリストとやっていることは同じになってしまう。というよりも、今回のテロ事件では、フランスがシリアを無差別空爆していることが「大義名分」となった。
テロとの戦いは、テロリストに大義名分を与えるだけなのだ。