すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

ムスリム向けの「スポーツ用品」販売をすると「前例のない脅迫」!フランスの「イスラム差別」と「宗教抑圧」を許すな!

 またもや欧米列強の白人たちによるアジア人への差別が始まった。彼らは同じ白人であってもアジア人は差別するし、自分たちの国籍を持っていても欧米文化に同化しない限りは、差別を続ける。

仏デカトロン、ランニング用ヒジャブの販売取りやめ 「中傷の波」受け

2019年02月28日

フランスのスポーツ用品大手デカトロンは、同国でのランニング用ヒジャブムスリムの女性が頭髪を覆う布)の販売を取りやめると発表した。販売を発表した後に「中傷の波」と「前例のない脅迫」を受けたためとしている。

ランニング用ヒジャブをめぐっては、一部の政治家がフランスの世俗主義的価値観に反すると指摘し、デカトロン製品をボイコットするよう促すなどしていた。

このヒジャブはすでにモロッコで販売されており、デカトロンも当初はフランスでの販売を擁護していた。

フランスでは、ムスリム女性の公共の場での服装についてたびたび論争が巻き起こっている。

デカトロンの広報担当を務めるクサヴィエ・リヴォワ氏はRTLラジオで、「我々はこの製品をフランスで発売しないことを決めた」と発表した。

リヴォワ氏はAFP通信の取材で、「世界中の女性がスポーツをできるようにする」のがそもそもの決定だったと話している。

簡素で軽い素材のランニング用ヒジャブは頭髪だけを隠し、顔は隠さないもので、今年3月から49カ国で発売される予定だった。

アメリカの大手ナイキは2017年に、フランスでスポーツ用ヒジャブを販売している。

物理的な脅迫も

デカトロンによると、同社には「ランニング用ヒジャブ」についての苦情のメールや電話が500件寄せられたほか、店舗スタッフが侮辱されたり、物理的に脅迫されたりしたという。

アグネス・ブジン社会問題・保健相はRTLに対し、こうした製品はフランスで禁止されてはいないものの、「私が共有していない女性像だ。フランスのメーカーがスカーフを販売するのは感心しない」と述べた。

また、エマニュエル・マクロン大統領率いる「共和国前進」のオロー・ベルジェ報道官もツイッターでこの問題に触れ、ボイコットを促した。

「私は女性として、また市民として、我々の価値から外れるブランドはもう信頼しない

ベルジェ氏のツイートに対してデカトロンは、「我々の目標は簡単なもの。何であれ(ランニングにそぐわないヒジャブを被って走る女性に)適したスポーツ製品を届けること」と返信した。

デカトロンはその後、「暴力的な」反応が「消費者のニーズに応えたいという我々の思いを越えてしまった」ため、平和を取り戻したいと話している。

フランスとムスリムの衣服

フランスは厳しい世俗主義の法律の下、児童や公務員などに求められる中立性を表していないとして、スカーフといった目に見える宗教的象徴に疑問を投げかけている。

ムスリム女性のスカーフは公共の場での着用は禁止されていないが、2004年以降、公立の学校や一部の公共機関で禁じられている。

2016年、複数のフランスの地方自治体が、イスラム教徒の女性が全身を覆う水着「ブルキニ」を禁止して問題となった。この禁止措置は後に、行政裁判の最高裁にあたる国務院が「信教と個人の自由という基本的自由を、深刻かつ違法に侵害する」と判断し、凍結を命じた。

フランスは2010年に欧州で初めて、イスラム女性の顔をすべて隠す「ブルカ」と、顔を部分的に隠す「ニカブ」の公共の場での着用禁止を決定し、2011年春から禁止措置を実施した。

権利保護団体はフランスのイスラム嫌いを糾弾し、一連の禁止措置がムスリムの女性を傷つけたと述べている。

 民主主義というと多様な価値観の尊重が大前提のはずだが、民主主義の祖国であるフランスでは与党の報道官が「我々の価値から外れるブランドはもう信頼しない」と宣言する。これこそが、民主主義の正体である。

 今回のフランスの騒動で見えて来るのは「宗教排除型政教分離」の問題点と、フランスで根強く残る「アジア差別」である。

 「宗教排除型政教分離」とは、公の場から「宗教的なもの」を排除しよう、という考えである。この立場から「宗教的なファッション」もNGである、ということになる。

 ニューヨークの「自由の女神」はフランス製であるが、本当にフランスが「自由の国」であるならば「ファッションの自由」もあるはずである。ところが、今のフランスでは「我々の価値から外れるブランド」は認めない、と与党の政治家が公言しているのだ。

 そして、彼らの「価値から外れる」筆頭がアジア人である。アジア人への差別は欧米白人の根強い人種差別意識に基づくものだが、アジア人(ムスリムもアジア人である)には白人もいる。しかし、それでも「価値から外れる」者は「差別」の対象となる。

 そもそも、欧米の女性がスカーフをつけるのは「男性への服従」のためではない。確かに「男性の性欲を煽ってはならない」という教義もあるが、それには「性犯罪抑止」の考えもある。

 イスラム教が始まったアラブ社会は典型的な男権社会であったため、性暴力から女性を守る教義が必要となったのである。欧米白人たち、特にフランスのような国では「性の解放」が近代的であると考えられているが、やはり女性を性の対象と観ることこそが女性蔑視という考えを持つ人も多いし、そう言う人間を「我々の価値から外れる」として排除するのは差別である。

 フランスの人種差別は構造的な問題である。フランスのムスリム移民は劣悪な環境で労働させられている者も多い。

 さらに、フランスは未だに植民地を持っている。表向きは「海外領土」ということになっているが、海外領土ではフランスの憲法が適用されないなど、実態は今でも植民地に他ならない。

 フランス最大の植民地が南米にあるフランス領ギニアであるが、他にも多くの植民地が存在する。

 南太平洋にあるフランス領ポリネシアが、フランスによる過酷な植民地支配を受けている一例である。

 フランスはアメリカやソ連、イギリスに対抗して核保有国となった経緯があるが、その核保有のための核実験は本土ではなく、ポリネシアで行った。

 言うまでもなく、放射能の影響がフランス人に出ることを恐れたのである。そして、ポリネシアに住む有色人種ならば放射能被曝しても構わない、と考えたのだ。これが差別でなくて何であろうか?

 フランス政府はポリネシアに大幅な自治権を与えているから植民地ではない、と主張しているが、国連は平成25年(西暦2013年、皇暦2673年、仏暦2556年)にポリネシアを「非自治地域リスト」に掲載している。つまり、フランスがポリネシア自治権を与えている、という話は虚偽であると国連が判断したのである。

 このようなフランスの差別主義が今回の事件の遠因であるのは、言うまでもない。

 フランスには今回の事件を「政教分離」を名目に擁護する意見も多いようだが、そもそもフランス流の「宗教排除型政教分離」こそが危険な考えである。

 この問題の源流はフランス革命とその背後にあったルソーの思想に遡る。

 ルソーの思想とその問題点についての詳細は平成30年(西暦2018年、皇暦2678年、仏暦2561年)10月10日付ブログ 四大政治思想家の主張とは?――初心者でも判る「社会契約」と「権力分立」の真実で述べた。

 そこでルソーは家族の絆を否定していることについて述べたが、彼は実は宗教も否定している。そこで、ルソーの思想通りに革命を起こそうとしたジャコバン派独裁政権においては徹底した「宗教排除」の政策が行われた。

 例を挙げると、教会の鐘を壊して大砲を作ったり、聖堂を取り壊して「理性の祭典」を行わせようと試みたり、というものである。

 彼らにとって宗教は否定されるべきものであったが、彼ら自身の思想もまた「新しい宗教」と言わざるを得ないものであった。

 ルソーの思想に「一般意志」と「人民主権」という者がある。前述のブログで述べたように、そもそもルソーのいう「一般意志」は何かが議論がある。その、実態不明な「一般意志」によって政治を行えばすべてうまくいく、というのであるから、それは一種の宗教である。

 そこへ「主権論」が結びついたわけだ。

 そもそもが「主権」という絶対概念を政治に持ち込むこと自体が、宗教である。

 宗教には絶対概念が存在する。否、存在しなければならない。が、政治には絶対概念が存在しては、ならない。政治の世界には「絶対的なもの」はないのである。

 というよりも、もしも「絶対的な存在」が政治にあれば、政治家は存在する必要がない。政治の世界には、全知全能の神など、存在しないのである。

 「国家主権」といい「君主主権」といい「国民主権」といい、凡そ「主権」という概念は政治の世界に「信仰」を持ち込むことに他ならない。「国家主権」を前提に成立した「近代国家」自体が一種の「宗教」である。

 その「近代国家」という「宗教」の指導者を「君主一人」にするのが「君主主権」であり、「国民全体」にするのが「国民主権」である。ルソーは前者の立場に立ち、「人民の一般意志」なる概念を教義の根幹に置く新しい宗教を作った訳である。

 戦前の日本は「天皇主権」なる奇態の概念を思い付いた。本来『大日本帝国憲法』は天皇主権の憲法ではないのだが、それを曲解した結果、空前の独裁体制となった。戦後は「民意」を免罪符として安倍政権のような朝敵売国政権が誕生している。

 そうした「近代国家教」の本場がフランスである。そのフランスにおいて、いわば「他宗教」である他の信仰が排斥されるのは、或いはやむを得ないことかもしれない。

 ましてや、イスラム教は「異民族の宗教」だからフランス人の「近代国家教」からすると「異端」どころか「邪教」の扱いなのだろう。それで、与党の報道官が公然と「我々の価値から外れる」等という訳だ。

 アグネス・ブジン社会問題・保健相の「私が共有していない女性像だ。フランスのメーカーがスカーフを販売するのは感心しない」という発言が全てを象徴している。「あるべき女性像」というものがある時点で既に「宗教」である、ということが判っていない。

 私は「あるべき女性像」があること自体を「悪い」とは、思っていない。宗教においては当然にそれがある。しかし、政治家、それも閣僚が民間企業に対して「あるべき女性像」を押し付けるなど、言語道断である。

 これはヴィーガンについても同様である。既にフランスでは「ヴィーガン向けステーキ」の販売禁止といったヴィーガン差別政策が実行されている。

 日本人はやたらフランスに憧れる。フランス料理を高級料理と崇め、フランスを民主主義の手本だと思い込んでいる。

 フランス料理を好むぐらいならばまだ良いが、あんな国の政治を決して手本にしてはならない。ムスリム向けの服を売ると暴力的な脅迫が来る国に、日本をしてはならないのだ。

 アジア人を差別し、ヴィーガンを抑圧し、価値観の押しつけを行う――これが「近代民主主義」の元祖であるフランスであることを、我々は忘れてはならない。