すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

『聖書』の解釈とヴィーガニズム(3)


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 本来の唯一絶対の神様であるエロヒムは「はなはだ良い」世界を創造した。そこでは人間は神様に似た完全な存在であった。その世界において神様は人間と動物に植物を食べ物として与えた。

 ところでこれはあくまで「本来の世界」の話。人間の心は不完全であるから「完全な世界」も「完全な自分自身(=人間)」も把握できず、「不完全な現象」があたかも本当にあるかのように錯覚している。(その人間の心も突き詰めれば本当に存在するのかは怪しい。これは古代ギリシャやインドの哲学者・宗教家が議論してきたところだ。)

 我々は不完全な現象を「本当の世界」と錯覚している。その「不完全な世界」(本来は存在しない世界)を「創造」したのがヤハウェである。

 唯一絶対の神であるエロヒムは不完全な世界を造ってはいない。この世界は本来の意味では存在しないのだ。

 この現象の世界においてヤハウェは人間をエデンの園から追放した。そして人間がヤハウェ(=「主なる神」)に羊の生贄を捧げると喜ぶが、作物を供えると一瞥もしない。

 また最初人間は千年、五百年と生きていたが、次第にその寿命も縮まっていく。その寿命を定めたのもヤハウェだ。

 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。

 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

 一方では人間を神の子とし、一方では「肉にすぎない」と述べている。これも「神の子」であるのが人間の本来の姿であり、「肉にすぎない」のは人間の仮の姿、肉体人間の事である。

 我々は自分をエロヒムが神に似せて創造した「神の子・人間」であると自覚するか、それとも「肉体・人間」であってヤハウェの言う通り長生きしても120年の命であると自覚するか、『旧約聖書』は一見矛盾するような記述を書くことにより、我々に重大な問いを与えている。

 『旧約聖書』の内容を信じるのは良いが、人間が「神の子・人間」であることと「肉体・人間」であることを同時に信じるのは不可能なのであるから、我々はどちらかしか信じることはできないのである。どちらを信じるのも自由だが、私は前者を選ぶ。

 さて、既に述べたようにヤハウェは人間や動物を造ったことを後悔するようになる。

 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。

 そこで始まったのがノアの大洪水である。


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 このノアの大洪水の場面で一見重複している話がある。

 まずエロヒムがノアに語り掛ける場面である。

 時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。

 そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。その造り方は次のとおりである。すなわち箱舟の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトとし、箱舟に屋根を造り、上へ一キュビトにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、一階と二階と三階のある箱舟を造りなさい。わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二つずつを箱舟に入れて、あなたと共にその命を保たせなさい。それらは雄と雌とでなければならない。すなわち、鳥はその種類にしたがい獣はその種類にしたがい、また地のすべての這うものも、その種類にしたがって、それぞれ二つずつ、あなたのところに入れて、命を保たせなさい。また、すべての食物となるものをとって、あなたのところにたくわえ、あなたとこれらのものとの食物としなさい」。

ノアはすべて神の命じられたようにした。

 次に「主」つまりヤハウェがノアに語り掛ける。

 主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り、また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。七日の後、わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります」。

 ノアはすべて主が命じられたようにした。

 この二つの内容はほぼ同一である。もしも「神」(エロヒム)と「主」(ヤハウェ)が同一の存在だとすると、同じことを二重に書いている不体裁なことになる。

 このことからもエロヒムヤハウェは別の存在であることがわかる。

 さて、これらの言葉はあくまでノアという人間に発せられたものである。だからこの「神の言葉」や「主の言葉」はあくまでノアの解釈である。少なくとも、人間の言葉にした時点で「ノアによる表現」だ。神様が肉声で人間に語るはずはないからである。

 エロヒム自身は人間をエデンの園からは追い出していない。人間は未だ「はなはだ良い」世界にいるのであるが、現象の人間がそのことに気付くように啓示を与える。人間側はその啓示を「はなはだ良い」世界を実現するためのメッセージとして受け取るのである。

 ノアの場合は洪水から人間や動物を救うためのメッセージを受け取ったのだ。


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 エロヒムが造った世界の実相ははなはだ良いものであり、人間の実相も神に似せて造られたものであるが、人間の心は不完全で迷いがあって自分が本来完全な存在であることを忘れていた。だから既に述べたように『旧約聖書』には一方では人間を「神の子」と書き、もう一方では人間を「肉にすぎない」とかく。

 さて、ヤハウェは自分が造った世界のことを後悔した。だが、本当にヤハウェが唯一絶対の神であればそのような欠陥品の世界を造るはずがないのである。

 エロヒムは「後悔した」等とは一言も言わずにノアに対して「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。」と述べた。

 これは一見して残酷な話に見えるが、実際には違う。エロヒムは人間をエデンの園から地上に追い出したりしていないのだから、地上の人間をいくら殺しても人間は本当には殺したことにはならないのである。なぜなら、人間は本来エロヒムが造ったはなはだ良い世界に居る「神の子」だからだ。

 そして人間が地上にいるのが自分たちの本来の姿であると誤認しているのであれば、一度その地上から人間(の肉体)を消滅させることも必要なことであったのだ。

 それではどうしてノアをエロヒムは助けようとしたのだろうか?それはノアが善人であったからである。地上は人間が善を表現するための舞台である。エロヒムが造った本当の世界ではないということは、地上はいわば夢のようなもの。悪い夢ならば覚まさなければならないが、夢の中で良いことをしているのならば神様もそれを応援するわけだ。

 この中でエロヒムはどのような箱舟をつくったらいいのかまで事細かく教えている。

 一方、その後でヤハウェも「箱舟を造るように」とは言うが、こちらはかなり大雑把な指示だ。既に述べたようにヤハウェはこの欠陥品の世界を造った張本人である。欠陥品の世界というのは本来ある世界ではなく夢のような存在ではあるが、本来ある世界(実相)の神であるエロヒムのような聡明さはないのだ。

 エロヒムは人間が善をなす限りはこの現象の世界においても人間や動物を応援する。

 神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。神が風を地の上に吹かせられたので、水は退いた。

 エロヒムが造った本来ある世界の人間は善人であり、完全な存在である。だから人間が地上で善を働こうとすると神はそれを応援する。

 わざと「人を騙す蛇」を造っておきながら、その蛇に騙されたという理由で人間を罰するヤハウェが本当の神でないことはこのことからもわかる。(続く)


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