『道路交通法』と『養老律令』の共通点
法律の効力については「存在・不存在」というのがあります。
例えば天平宝字元年(西暦757年、皇暦1427年)に制定された『養老律令』という法律があります。
『大宝律令』なら聴いたことある人も多いでしょうが、実際には奈良時代後期以降は『大宝律令』ではなく『養老律令』によって統治されていました。
この法律は正式にはまだ廃止の宣言はされていません。
しかしその相当部分、特に「律」の部分(今の刑法に当たる)は散逸してその内容は不明です。
内容が不明の法律を「守れ」と言われても、守りようがありません。
ですから、どんなに理屈を捏ねても
「『養老律令』を今の時代にそのまま適用せよ!」
ということは不可能なのです。
この場合、『養老律令』は今の時代においては「不存在」と見做されます。
ところで、『養老律令』の内容は結構古くから失われていたと言われています。
なので貴族たちは『養老律令』の解説書である『令義解』等を基に実際の政治をしていました。
特に(一部の)藤原氏は律令を無視して私利私欲を追求するのも多く、本当に『養老律令』をきちんと読んで仕事をしている貴族などいなかったので、今の時代には『養老律令』が残っていないという、歴史を学ぶものとしては大変残念な状況なわけです。
そんな中、平安時代に伴善男(とものよしお)という変わり者の貴族がいました。彼は上司が裁判で『養老律令』の手続きを踏まずに有罪の判決を下したことを「律令違反だ!」と指摘したわけです。
その内容には「捜査の際に不当な身柄拘束をした」「犯罪の具体的な日時を特定していない」「有罪の判決が下っていないのに被疑者を罵倒した(推定無罪の原則の無視)」「告訴を受理する権限がないのに受理した」と言った、今の時代でも問題になりそうなことが挙げられているのですが、当時にそんな規定を一々守っている平安貴族などいません。
しかしながら伴善男の言うことは正論ですので、彼の上司はみんな失脚してしまいました。伴善男、中々の曲者です。
まぁ、そういう変わり者ですから彼はやがて失脚しちゃったのでしょう。気付かれた方もいたかもしれませんが、伴善男とはあの有名な応天門の変で失脚した人のことです。
それは置いておくとして、伴善男みたいな変わり者以外は誰も読んでいなかった『養老律令』はやがて誰も守ることなく散逸してしまいました。
これは極端な例ですが、法律を守らせるためには守らせる対象に法の内容を周知徹底しなければなりません。
「内容を知らない法律」を守れる人間はいないからです。
さて、『道路交通法』は施行令も含めると毎年のように改正されています。
毎年のように『道路交通法』やその施行令の改正内容を把握して法令遵守に努める人間は、果たしてどれぐらいいるでしょうか?
いたとしたら、それはまさに伴善男なみの変わり者であると言えます。
そもそも多くの国民は『養老律令』を読む気も守る気もなかった平安貴族よろしく、『道路交通法』を読む気も守る気もありません。
日本人なら誰でも知っている諺があります。
「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」
特に大阪では赤で普通にみんな渡っていますね。
大阪のおばちゃんに『道路交通法』を読んでいるか、最近の改正内容を把握しているか、と聞いても「知らん、興味ない」で終わりでしょう。
また制限速度の規定など、誰も本気では守りません。
「制限速度時速20キロ」など、守っている方が危なかったりします。
そんな誰も守る気のない、年末やお盆前のなんとか強化週間だけお巡りさんの点数稼ぎのために使われる『道路交通法』を毎年のように改正する必要があるのでしょうか?
さらにいうと、これだけ国民にとって身近な法律であるにもかかわらず、『道路交通法』改正の是非が選挙の争点になったことはありません。
政治改革を訴える方は多いですが、政治を改めるのであればまず『道路交通法』からでしょう。