名刺がテレポートすると言う謎現象
11月は色々ありましたが、それより今朝の話を聴いて下さい。
朝起きると雨が降っていたんですよ。雨って、私の苦手な天気ですよ。
皇室では雨が降って文句を言っていると「百姓のことを思え!」って教育をされるそうですけど、私はそういう教育は受けておりません。
ただ、宝蔵神社で用いる聖経である『万物調和六章経』には良いことが書いてあります。
天候のごとき自然現象も、
人の心に対して
鋭敏な反応を示すものである。
常にそれに対して感謝している人たちには、
常に天候和順にして、
その人に害を蒙らせることがなくなるのである。
「私が旅立つ時には必ず天気はよくなる」
と言う人は、
常に天候に対して感謝している人である。
そう言えば、これを実践している人がいます。私の母です。
私の母は天気予報が大雨で実際に朝起きると雨が降り始めていた日に、「私が晴れると決めたら晴れる!」と宣言し、本当に快晴にしてしまうという能力の持ち主であります。
いや、これ、冗談じゃなくて本当だから。証人もいるから。
そんな母ですから、さぞかし天候を自由自在に操っていると思いきや、そういう能力は本当に必要な時にしか発揮せず、普段はどんな大雨でも全く文句ひとつ言わないのです。
母曰く、天候に感謝するのは当たり前のことのようです。
そうですか・・・・。不肖の息子ですみません。
朝起きて、『大日本神国観』と言う神想観を実修して、その他諸々してさぁ学校に行こう!と、思った矢先の雨です。
私は服が濡れるのがとても嫌いなのです。仕方がないので傘をさすことにしましたが、傘をさすのもあまり好きではない(というか、傘を持つのが苦手。物を握ることに困難を感じるのです。)という厄介な性格のため、小雨の時を見計らって傘を閉じたまま外に出ました。
すると、次第に雨がきつくなってきます、
仕方がないので傘をさすことにすると――なんと!頭上に名刺とレシートその他複数枚が振ってきました!
最初に私の思ったこと。
「え?名刺をしまう場所、また間違えた?」
もう、名刺はきちんと名刺入れに入れないといけないのに、この私は――って、ちょっと待てい!
いくら私でも名刺を傘の中に入れたりしないぞ!
しかも!この名刺って、一度家の中で整理したやつだし!しかも、このレシート!これはどうみても財布の中とかポケットの中にあるやつで、傘の中に入れるものじゃないし!
うわぁ、宝蔵神社のカードまである。こんなの誰も傘の中に入れないし!
結論。
名刺その他が傘の中に、いつの間にかテレポートしていた。
こんなこと書くと「頭、大丈夫か?」と言われそうですが・・・・。
そもそも、名刺が傘の中に入っているという事態が、大丈夫じゃないので。
11月の始めには議員会館に行って、立憲民主党や自由党の先生方に挨拶回りをしてきました。
ついでに、笠哲哉最高顧問の薦めにより『国会手帳』を購入しましたが、これが正直無駄な買い物であった面白い現象を引き起こしてくれました。
これも名刺関連の怪奇現象であります。
知り合いのピアニストの方と雑談している際、東京での挨拶回りのことが話題になりました。
それで、『国会手帳』を話題にしてポケットから取り出してみると、新品の『国会手帳』に何と!見知らぬ女性の名刺が挟まれていました・・・・。
ピアニストの方にはからかわれましたが、私には本気で身に覚えのない名前です。
いや、私は人の名前を覚えるのが苦手だし、議員会館での挨拶回りの際に紛れ込んだのかもしれない、と思って名刺の内容を確認してみました。
住所、京都だし。政治と全く無関係の仕事だし。議員会館で紛れ込む要素ゼロ!
あの、私の名刺って一体、どんだけテレポートすると気が済むのでしょうか?
ところで、私は11月に入ってから少しは規則正しい生活を心がけようと思いました。
毎朝『大日本神国観』を実修し、高良大神(知り合いの神様)とご先祖様に『観世音菩薩賛歌』を奉げる――ここまでは、宝蔵神社の崇敬者では少なくない方がされていると思います。
加えて、私は原則として一日一食を徹底することにしました。断食も頻繁にします。
ちびうささんのファスティング部にも当然、参加します――と思ったところで、ちびうささんのインスタグラムにトンデモナイことが明記されていました!
なんと今月のファスティング部は毎晩、スクワット30回のノルマが課せられるというのです!
超運動苦手な私ですが・・・・いや、11月は変わろうと思ったし、ちょうど良い機会かもしれないですね。
とりあえず、昨日からスクワット5回を毎晩するようにして、ここから徐々に回数を増やし、25日からのファスティング部に備えようと思うのでした。
私の嫌いな言葉にこんな言葉があります。
「健全な精神は健全な肉体に宿る。」
何で嫌いか?中学時代までいじめられていたからですよ。
武道とか野球をしている人は性格のよい人が多かったけど、一部のスポーツで鍛えている人には、どうしてもイジメのトラウマから偏見を持ってしまいます。
とは言え、いわゆる武道家に敬神家が多いのも事実。
私はあまり詳しくありませんが、極真空手の創始者の大山倍達さんも素晴らしい人だったらしいですね。
極真空手のとある有名道場の総帥は神様への祭祀を毎日怠らないそうで、その道場訓を見ると「神仏を尊ぶべし」と記されていました。文句なく素晴らしいです。
こういう方に憧れるのも事実ですが、私は鍛えるということにかなりの抵抗感があります。
そりゃ、高校生にもなって体力テストで女子に負けて見なさい、トラウマになりますよ。というか、そもそも体育が男女共学って、おかしくありませんか?
それは置いておくとして、健全な精神が健全な肉体に宿るのは、嘘ではないでしょう。
これまた宝蔵神社で用いる聖経である『大自然讃歌』にはこうあります。
されど汝ら、
人間の真の目的は肉体の維持・発達に非ず、
地上に神の栄光現すことなり。
肉体は神性表現の道具に過ぎず、
欲望もまた神性表現の目的にかなう限り、
神の栄光支える“生命(いのち)の炎”なり。
肉体を維持・発達させようという欲望は人生の目的ではないけれど、それを神性表現のために使うと神様の「生命の炎」になる――考えさせられます。
話が逸れたようで逸れていません。スピリチュアルなことはあまりこのブログで書かないようにしているのですが、怪奇現象が起きた時は自分の霊体と肉体のバランスが取れていないことを疑った方が良いです。
極真空手でいきなり鍛えるのはきついけれど、スクワット5回程度ならば続けよう、と今朝の名刺テレポート事件で改めて思いました。