すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

谷口雅春先生の菩提寺・願成寺を参拝――死しても神戸を愛した住蓮上人


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 宝蔵神社再興の祖・谷口雅春先生は兵庫県神戸市兵庫区の今は水源地となっている旧烏原村で誕生された。

 この烏原村の語源となった話に「住蓮上人伝説」というのがある。

 実は、私がこれを知ったのは偶々であった。

 私には私以上に信仰者として優れている妹がいる。その妹の名前を「すみれ」と言うのだが、この「すみ」は「住吉大神」から「れ」は「蓮華」から、それぞれ採っているのである。

 そういう訳で、偶然知った「住蓮上人」という名前に感じるところがあった私は、彼について調べるとなんと烏原村と縁の深い方であることを知ったのである。

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 しかも、検索すると山ちゃん1952さんのブログがヒットし、それによるとなんと住蓮上人が開山したお寺である「願成寺」は谷口雅春先生の菩提寺である、という。

 山ちゃんさんとは一度だけお逢いしたことがある。谷口雅春先生のことを、非常によく調べられている方である。このような方が宝蔵神社相手に訴訟を起こすような団体に行かれているのは、恰も『封神演義』において忠君愛国の臣である聞仲が既に天命を失った紂帝への忠誠を貫こうとするのに似たものを感じる。

 話が逸れた。私が言いたいのは天部、声聞、縁覚、場合によっては菩薩も肉体を持つと不完全であるが故に対立することもある、ということである。

 そのことを認識しないと「万教帰一」の教えは成立しない。住蓮上人は法然上人の高弟であるが、法然上人は後鳥羽上皇に「浄土教以外の経典は焼き捨てるように」と迫った。これだけを抜き出すと「法然上人は万教帰一を理解せず、排他的な教義を説いた」と言うことになるが、これはあくまで表面的な現象なのである。

 話を戻すと、願成寺は谷口雅春先生の菩提寺である、しかもその開山の祖は妹の名前と縁のある方である、ということで、私は願成寺を参拝することにした。


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 願成寺に参拝すると雨の中であった。

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 このお寺は元々、観音寺と言って行基菩薩が創建したお寺である。その頃は観音寺と言った。

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 観音寺は真言宗の寺院であった。私も高野山真言宗の檀家なので、ご縁を感じる。

 安元2年(西暦1176年、皇暦1836年、仏暦1719年)に法然上人の高弟である住蓮上人が、平清盛の福原遷都を機に再興された。以降、このお寺は浄土宗の寺院となっている。

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 住蓮上人は後鳥羽上皇の寵愛した右大臣の娘である松虫と鈴虫にも布教していた。松虫と鈴虫は住蓮上人を慕い出家しようとした。

 このことに怒った後鳥羽上皇は住蓮上人を斬首の刑としたのだ。

 この願成寺には住蓮上人だけでなく松虫と鈴虫のお墓もあるのだが、雨天のため探すのを断念した。

 住蓮上人のお墓を参拝するだけで雨にかなり濡れたが、そこからお寺の門に戻り出て行こうとすると一人のお坊さんが傘をもってやって来て下さり

「良かったらこれを持って行ってください!気付かず申し訳ございません!」

と仰られた。とても愛深いお坊さんだった。


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 願成寺の事務所はとても立派であったが、歴代のお坊さんや檀家さんがとても陰徳を積まれているのだと思う。

 その背後には住蓮上人ご自身の恩徳があるだろう。

 住蓮上人は兵庫での布教に文字通り、命を懸けておられた。住蓮上人は処刑されるときに

「私を殺すことはできない!もし私の首を斬ると、それは蓮の花に化けるであろう!」

という旨のことを言われたらしい。すると、不思議なことに住蓮上人の首は本当に蓮の花に化けた上に、なんと空を飛んで願成寺までやって来た。

 蓮の花の周りに沢山の鳥が集まっていたので、願成寺のお坊さんがその蓮の花を覗いてみると、なんとそれが住蓮上人の生首に変化したという。

 死しても尚、兵庫のことを思っていたのだろう。宗派は違えど、その伝道精神には頭が下がる思いである。

 また、別の説話も伝わっている。これは、烏が住蓮上人の首を咥えて願成寺まで持ってきた、というのである。

 そこでかつて願成寺のあったこの一帯を「烏原村」と言うことになった。谷口雅春先生が烏原村から生まれたのも、その背景には住蓮上人の恩徳があったのかもしれない。

 烏原村は、今は水源地となっている。

 その烏原水源地に山の神と川の神を祀る神社がある。

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 山の神は山王権現で川の神は蛭子である。蛭子は恵比須様でもあり、また障碍者水子の象徴でもある。

 烏原村で生まれた雅春先生が障碍者差別・堕胎推奨の、まさに生命軽視の悪法である『優生保護法』に反対されたのも、天界からの導き故であったのだろう。

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 この神社には一輪の椿の花が綺麗に落ちていた。

 私にとって谷口雅春先生は釈迦牟尼如来垂迹であり、イーサーであり、龍樹菩薩であり、山幸彦であり、神武天皇であり、応神天皇である。

 そのような貴いお方は偶然に生まれることはない。住蓮上人の恩徳があり、山の神と川之上の守護があり、始めて雅春先生はこの地に生まれてきた下さったのである。