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日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

イルカ追い込み漁「動物愛護法違反」美貫団体「LIA」が提訴!売国奴・二階幹事長の「伝統詐欺」に騙されるな!

 平成31年(西暦2019年、皇暦2679年、仏暦2562年)2月9日、大地町のイルカの追い込み漁の問題で、美貫(ヴィーガン)のメンバーで構成されるアニマルライツ団体「LIA」が捕鯨の許可を与えている和歌山県を提訴しました。

 和歌山県側の説明だと平成20年(西暦2008年、皇暦2668年、仏暦2551年)にイルカの追い込み漁の方法を変えて、なるべくイルカが出血しないように漁をしているそうです。

 しかし、以下の写真を見てください。

Photo

 これは、平成31年(西暦2019年、皇暦2679年、仏暦2562年)にドルフィン・プロジェクトが撮影した映像です。

 出血を減らすよう猟師さんたちが努力していることまでは否定しませんが、それでも海一面が真っ赤に染まっているのが、イルカ漁の実態なのです。

 十年以上努力を重ねた結果がこれということは、どんなに頑張ってもイルカの追い込み漁はイルカの大量出血を伴う結果になる、ということです。

 野生動物であるイルカやクジラといった鯨類は『鳥獣保護法』や『漁業法』といった法律で保護されています。また、『動物愛護法』は野生動物に適用されないという訳では、ありません。

 ところが、法律上都道府県知事の判断で特例として捕鯨を許可することが認められています。

 今回の訴訟はその「特例」がオカシイ、というものです。LIAは『動物愛護法』と『御漁法』に照らしてこの「特例」を取り消すべきである、と主張されるそうです。

 こうした訴訟では良く

「クジラやイルカも哺乳類だが、牛や豚を食べるのとクジラやイルカを食べるのと何が違うのか。」

という方が出てきます。現に、出て来ています。

 しかしながら、このLIAは美貫(ヴィーガン)の団体ですので牛も豚も魚も食べていません。なので、こうした批判は失当であるというべきでしょう。

 そもそも、大地町のイルカの追い込み漁は「食用」のためだけに行われているのでは、ありません。

 海外に娯楽用に輸出されているイルカもいますし、水族館に売り飛ばされているイルカもいます。海外に輸出されるので一番多いのは中共の水族館に売り飛ばされるイルカですが、中にはロシア海軍軍用イルカにされているのもいます。

 言うまでもなく、このようなことは「伝統」でも何でもありません。

 光明思想家の谷口清超先生は著書『愛は凡てを癒す』で捕鯨について次のように記されています。

 大体現代の世界的不安というものは、色々と手近かな原因もありましょうけれども、根本的には社会の人々が、あまりにも残忍になって、平気で生き物を殺しているというところに根本の原因があるのであります。吾々の現象世界は“因果律”の支配している世界であって、従って吾々人間が他の動物の生命をうばえば、自分の生命も奪われることになるのは当然であります。人間は凡ゆる下等動物の生命を平然と奪っているが、果してこれが神の御心にかなった行為であろうか。例えば捕鯨船が鯨をうつが、その時、捕鯨船の射手は子供の鯨を目標にして銛(もり)をうつと、その親鯨は子供が銛をうたれて引き摺られるのをみて可哀そうになって、どうしても子供を捨ててにげて行くことが出来ないで、自分の身が危険にさらされるのもかまわず捕鯨船について泳いで来て、遂に自分も捕獲されてしまう。そうして捕(と)って来た鯨の肉を、人間はうまいうまいと言ってたらふくたべるのであります。(中略)

 こういう事を平気でしていて、人間だけ殺されずに火にもやかれずに生きていたいなどということは少し虫が好すぎるのであります。ですから、このような残忍な心をそのままにして置いて、それで一方的に、人間同士だけの戦争をなくしようと努力したり、火事にあうまいと思って努力してみても、人類全体の業が流転して来て、大量の人類殺戮場たる戦争があらわれ、原子爆弾で人類の大量火あぶりが起るというのも当然のことなのであります。

 ここで「人間は凡ゆる下等動物の生命を平然と奪っている」とありますが、これはまだ昭和29年(西暦1954年、皇暦2614年、仏暦2497年)の文章なので、クジラやイルカの中には知的生命体に含まれる種類もあることが知られていない時代の表現です。もっとも、この時代から「親鯨は子供が銛をうたれて引き摺られるのをみて可哀そうになって、どうしても子供を捨ててにげて行くことが出来ないで、自分の身が危険にさらされるのもかまわず捕鯨船について泳いで来て、遂に自分も捕獲されてしまう」ということは知られていたのです。

 そして、人間がそんな残酷なことをしていると「類全体の業が流転して来て、大量の人類殺戮場たる戦争があらわれ」ると清超先生は今から50年以上も前に言われていたのですが、現にイルカが軍用イルカとして用いられているのですから、清超先生の光明思想家としての予想は具体的事実として現れているのです。

 もっとも、清超先生はこの話を肉食全般のこととして述べておられているのですが、肉食が気候変動や食糧危機の主要な原因の一つとなって国際平和を現に乱しているのですから、この件でも清超先生の文章は的中しています。

 ところで、そんな何十年も前から捕鯨が残酷であることは知られていたのに、その捕鯨を「伝統だ!」と強弁して、特に自由民主党和歌山県連を率いる二階自民党幹事長は捕鯨を積極的に擁護しているのですが、イルカを軍事用に使ったり中国に朝貢したりするような伝統は我が国にはありませんし、そもそも「悪しき因習」を「伝統」とは言いません。

 例えば、「殺人」や「戦争」は昔から行われていますが、それは「伝統」ではないのです。仮に「正義のための戦争」であったとしても、或いは「正当防衛としての殺人」であったとしても、それはあくまで「必要悪」であって「善」ではありません。

 もしも、正当防衛で人を殺して無罪になった父親が「俺は正当防衛で悪い奴を殺したんだ、お前もこの伝統を守れ」と息子に言い聞かせると、それは何か冗談めいた口調で言っているのか、それとも、頭のねじが何本か抜け落ちているか、のいずれかでしょう。

 生活のために止むを得ず、罪悪感を抱きながら鯨を殺しているとすれば、それは「必要悪」であったのかもしれませんが、「継承すべき伝統」ではありません。

 昔は堕胎や嬰児殺しも当たり前に行われていましたが、それは「必要悪」であっても「善」ではありませんでした。それと同じです。捕鯨を伝統扱いするのは、堕胎や嬰児殺しを伝統扱いするのと一緒です。

 現に、捕鯨を行っている方は捕えられた鯨の供養をしているではありませんか。それは、殺された鯨の命に同情する心があるからのはずです。そうした「良心の呵責」を子々孫々まで継承するのが「伝統」でしょうか?

 いや、そうした「良心の呵責」を持つ必要のない仕事に全ての人間が付く社会を築くべきでしょう。わざわざ「捕鯨産業」を「伝統」として墨守しようとする二階幹事長以下、自民党政権の面々は大いに問題があります。

 だいたいが、二階幹事長は愛国心から「伝統」を持ち出しているわけではないのです。中国や韓国にばらまき外交をやり、特に中共主導の一帯一路への参加も推進している政治家が、とってつけたように自らの利権を守るために「捕鯨の伝統」を持ち出しているのです。

 このような「伝統詐欺」に騙されてはいけません。私はLIAによる訴訟を全面的に支持します。