すべての「いのち」のために

日本SRGM連盟代表・日本アニマルライツ連盟理事・日本優生思想研究所研究員の日野智貴のブログです。いのちに線引きする「優生思想」に断固反対!(記事内容は所属団体の公式見解とは無関係の個人的見解です)

新しい恋なんか見つからないよ~

 塾で生徒に聞かれた。

「先生、好きな人は出来ましたか?」

「いや、出来ません。」

「じゃあ好きな人はいないんですか?」

「好きな人はいますよ。」

「え?誰?」

「・・・元カノです。」

 こういう感じで、今の私からは「この人と付き合いたい」と言うような感情は消えた感じだ。

 元カノとは一度も両想いになったことは無いと思う。それでも付き合ってくれたことには感謝しかない。

 だが、両想いでないと現実は辛いものだ。

 誰かと付き合いたいという感情が無くなったのは初めてだが、これから素晴らしい出会いが来ると云うことだったらいいなぁ。

私を批判している人がワクチン推奨派であると言う面白い事実

 高校生の頃、面白いことに気付きました。

 私は左翼も安倍政権も嫌いでしたし、安倍政権は左翼のスパイだと思っていますが、高校時代の私にはこの両者をつなぐ「判りやすい線」が、中々分かりません。

 無論、自民党の支持母体である医療利権複合体がプロチョイスで、そして左翼も例外なくプロチョイス(と言うか、生命尊重派攻撃そのものが目的のアンチライフ)であると言う事実はありましたが、もしかしたら「たまたま意見が一緒なだけかもしれない」とか「どちらも生命軽視という本質は一緒でも、人脈的なつながりは無いかも」等と言う可能性も思っていました。

 ところが、何と、この両者をつなぐ「糸」があることを知ったのです!

 そう、安倍政権と左翼には、大きな共通点があったのでした。それは・・・

どちらも子宮頸がんワクチン推奨派!!

 これです。

 で、高校時代の私が書いたのが、この駄文。

bousouwakoudo.hatenablog.com

 今では恥ずかしいぐらいの駄文だけど、左翼も自民党もどちらも黒幕は医療利権複合体であると言う事実を見抜けたのは、大きな収穫でした。

 そう言えば、日本会議にも日本医師会が入り込んでいますが、日本会議系の掲示板の内容を根拠に私を統一教会扱いしていた人もいましたね。

 さて。

 今回も私を非難している人たちの相当数がワクチン推奨派である、と言う面白い事実が判明しました。

 例えばこの方。

kojitaken.hatenablog.com

 この方の定義では小沢信者は左翼のはずなので、「オザシンにして極右」と言うのは矛盾していますが、小沢一郎先生が保守派だと判るだけの知能はある方です。

 日本SRGM連盟はセクシャルマイノリティの当事者団体であって決してヘイト団体では無いのですが、それは置いておくとして。

 この方のブログは外山斎先生のことも詳しく紹介してくれていたりしたので、とても勉強になったのですが、やはり医療利権複合体側でした。

kojitaken.hatenablog.com

 また日本でワクチンのブースター接種が遅れていることも問題だ。もっと早く動くチャンスはあったが「正常化バイアス」によって遅れてしまうのはいつも見られることだ。岸田文雄政権のコロナ対応は最低最悪だった菅義偉政権はいくらかマシかもしれないものの、決してほめられたものではない。

  岸田文雄首相は菅義偉首相以上のワクチン推奨派で、何とかして国民に「副作用率6割」という超有害ワクチンを接種させようとしているのですが、そんな政権が「いくらかマシ」に見えてしまうぐらいの、超ワクチン推奨派でした。

 もっとも、ワクチン推奨派なのは面に出さないだけで、多くの左翼がそうです。繰り返しますが、左翼の黒幕は医療利権複合体です。

 他にも令を出すと、例えばこの方。

 私がいつの間に反トランス派になったのだろうか?と思うのですが、そういうデマを流してまで、私をドナルド・トランプリチャード・ドーキンス並みの有名人にしてくれてありがとうございます。

 まぁ、「右翼(プロライフ)の仮面を被った左翼(プロチョイス)」のトランプ前大統領無神論の祖である極左思想家のリチャード・ドーキンス人権擁護法』推進派でもある朝田理論団体「自由同和会」と仲良しの繁内幸治氏と言った、左翼の皆様と一緒にされるのは、保守派として不快なことではありますが。

 で、この方も案の定、ワクチン推奨派でした。

crowclaw-2.hatenadiary.org

金儲けの為に人命を奪いかねないデマを流す人物の下劣さには文字通り付ける薬がありませんが、特に「コロナに感染しても重症化しにくい」にもかかわらず「ワクチンの副作用が強く出やすい」、相対的に「ワクチン接種のメリットが薄い」若年者は、専門家による正しい情報へアクセスすることが大事です。

なお、20代以下の若年者であっても、副作用などワクチンによるデメリットが、ワクチン接種のメリットを上回ってしまうケースはほとんどありません。ワクチンによる一時的な発熱や倦怠感は、コロナウイルスに感染した場合、より重篤な症状が出ていたであろうことを示すものであり、キツめの副作用が出た場合でも「感染しなくてラッキー」と前向きに考えるべきでしょう。

 ここまで前半と後半が矛盾している文章も珍しいです。

 若者は副作用が出やすいと前半で述べておきながら「キツめの副作用が出てもラッキーと考えるべき!」とは。

 この時点でこの方に通常の倫理観が無いことは明白ですが、そうでないとTRAにはなりませんね。

 こういう感じで、私を批判している人たちを注意深く見ていくと、面白いぐらいに医療利権複合体の影が見えているのでした。

 

どうしてそんなに日本SRGM連盟の「AV廃止論」を渡辺直弼氏は攻撃するのだろうか?

 世の中、本当に多様性である。

 私には到底理解できない価値観の方がいる。

 日本SRGM連盟は人権侵害に反対している。言うまでも無いことだが、AVや風俗は典型的な人権侵害である。

 さて、日本SRGM連盟や私に対してデマを含む誹謗中傷を繰り返している人に渡辺直弼氏と言う方がいる。

 彼の特徴は、すぐにばれるデマを流すという事である。例えば、こんな感じだ。

 

 

 

 

 ・・・まぁ、この程度のちょっと調べればすぐにばれるデマであれば、大して実害はない。問題は、彼が人権侵害肯定派である、ということだ。

 私は彼から性的指向を決めつけられるという人権侵害を受け、これには私のことを毛嫌いしている灰色の熊氏ですら渡辺直弼氏を批判しているのだが、そんな周囲の忠告も馬耳東風。

 だが、百歩譲って私個人への攻撃だけだと個人間のトラブル(一方的な渡辺直弼氏による攻撃ではあるが)で終わるのだが、彼は公然と人権侵害を肯定する主張を日本SRGM連盟へと押し付けていることが問題である。

note.com

 今日もこんなツイートをしていた。

f:id:bousouwakoudo:20211220123417p:plain

 どうも渡辺直弼氏は日本SRGM連盟がAV廃止論であるのが気に入らないらしく、過去には「AV廃止論者である日野を解任しろ!」という支離滅裂な要求もしていた。

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 ちなみに、くだらない話ではあるが、彼によると「天皇制廃止の祈り」をしている陰謀論カルトのRAPTは右翼らしい。

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 まぁ、彼と私では「一般人」の定義がかなり違うのかもしれないし、彼の周囲の「一般人」はAVが好きなのかもしれないが、それにしてもあまりにも執拗である。

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 どうしてそこまでAVに拘るのか、渡辺直弼氏は会社の人事部に所属しているらしいが、このような方が人事を動かす立場にいるという事実が、如何に日本が性愛至上主義に偏っているかを示している。

 そして、そのような性愛至上主義に異を唱える目的で結成されたのが、日本SRGM連盟なのである。

 

 

 

自宅でヴィーガン対応のカレーが食べられる!動物のいのちを守るカレールー

 たまに「菜食主義者って、何を食べているの?不便じゃないの?」と聞かれることがあります。

 例えば、日本人が大好きなカレー。本場であるインドのカレーは基本的に菜食対応ですが(※乳製品が入っている場合もあるので、ヴィーガン対応とは限りません)、バーモンドカレーを始め、多くのカレーはルー自体には動物の肉が入っています。

 しかし、実は値段も手ごろでヴィーガン対応のカレールーが日本でも売っているのです。

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私が菜食をする理由

 菜食をしていると聞くと、良く勘違いされるのが

「健康志向なんですね!」

「オーガニック食品しか食べないんでしょ?」

と言った、話。

 ハッキリ言わせてもらいますね。

 私は、オーガニック食品で満腹になれるほど、金は持っていません!!

 というか、仮にそんな金があったら買いたい本が山ほどあります!!

 政治活動をしている関係でお金を貯めてはいますが、そうでなければ全財産を書籍代に注ぎ込みたいのが、本音の私です。貪欲な知識欲ですね。

 が、そんな知識欲が役に立つこともあります。

 昔、お釈迦様は「知らずに犯す罪の方が、知って犯す罪よりも重い」と言われたそうです。

 肉食についても、多くの人が知らない、次のような事実が存在していました。

温室効果ガスの51%は家畜産業関連の排出。

・動物を質量ベースでみると98%が家畜動物。

・世界の穀物飼料の約3分の1が家畜の飼料。

・飼料ではなく放牧で行うと、今度は広大な土地が必要。
アメリカでは放牧の為に毎年5万頭の野生動物が狩られている。)

アメリカで使用されている抗生物質の大半は家畜に投与されている。
(医療利権複合体と家畜産業は連携している。)

 無論、世の中には「気候変動?そんなのどうでもいい」「世界の穀物が足りない?まずは人口を減らすべきだろ」等と言う人も少なくないでしょう。

 メタンガスには二酸化炭素の25倍の温室効果があり、政府が二酸化炭素を減らせと言いながら家畜産業から出るメタンガスを減らせとは言わないのは矛盾以外の何物でも無いのですが、そもそも政府の施策に興味のない方もいるでしょう。

 しかし、私は地球環境問題と生命倫理問題への関心が、政治活動に参画した理由でした。

 そんな私が肉食をしながら「地球環境を守れ!メタンガスの排出を減らせ!」「生命尊重だ!殺処分ゼロだ!」と言っていても、一体、誰が耳を傾けてくださるでしょうか?

 いや、いつの時代にも「騙されない国民」はいるものです。しかし、私は国民を騙すような人にはなりたくありません。むしろ、そういう偽善者に腹が立って政治活動をしているのです。

 ならば、答えは決まっています。

 私は、偽善者にならないために、菜食を実践しているのです。

ヴィーガン対応商品は高い?

 さて、動物性不使用のヴィーガン対応商品には高いというイメージがあります。。

 実際、ヴィーガン対応メニューには高いものが多いのですが、そうではないものもありました。

 その一つが、ヴィーガン対応カレールーであるこれです。

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 これだと、私でも買える(笑)良心的な値段です。

 というわけで、私はこれを使っています。菜食主義者で手ごろな価格のカレールーが欲しい人もいるのではないでしょうか?是非、これを買ってください。

 元々、私もインドに住んでいたことがありましたが、インドのカレーは菜食が基本。菜食主義者がカレーを食べたくなるのは自然なことです。

旧正月と紀元節と数え年

 昨日は旧正月の元旦でした。建国記念の日紀元節)と旧正月が近い日にちなのは、決して偶然ではありません。
 実は、建国記念の日こそが旧正月を元に算出された日なのです。
 というのも、『日本書紀』には皇暦元年の元旦に日本が建国された、と記されているからです。(立春説もあり)
 明治維新の時、皇暦元年の元旦を太陽暦に直した結果が、2月11日でした。
 さて、私は神武天皇実在説ではありますが、皇暦元年が実際に何年だったかは、『日本書紀』の年代は『古事記』とも差異がある訳ですから、その記録の信憑性については議論があるところだと思っていますし、況してやその年のちょうど元旦に「建国」がおこなれたのか、と言われると
「後世の人がキリの良い日付を選んだ可能性は、当然あるなぁ」
と言わざるを得ません。しかしながら、だからと言ってこの伝承が無意味であるのか、と言うとそうは言えないのです。
 というのも、建国記念の日というのは言わば「日本の誕生日」です。そして、昔の人たちは「元旦」を「誕生日」としていたのです。これを「数え年」と言います。
 今は「満年齢」と言って、産まれた日より「0歳」となり、その後誕生日の午前0時(前日の24時)に「1歳」「2歳」と加齢していきます。
 しかしながら、これにはいくつかの不都合があります。
 第一に、これだと胎児の年齢が「マイナス」になってしまいます。『民法』上は胎児にも一定の権利を認めているにもかかわらず、です。
 第二に、生まれてきた赤ちゃんも「零歳」だというのは、やや違和感のある言い方です。折角生まれてきたのに「1」ではなく「0」だとは・・・。

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 これらはあくまでの言葉の表現の問題であり、満年齢が悪いという訳では無いのですが、数え年は生まれてきた時を「1歳」とし、まだお腹の中の状態を「0歳」とした点で、満年齢よりも優れた面があったのです。
 そして、お腹の中にいつ宿ったのかは不明ですから、それをお正月の元旦であると「見做す」(擬制)というのも、合理的な規定でした。
 今の満年齢でも、何時に生まれてもその日の午前0時の誕生であると「見做す」訳ですから、格別数え年が不正確と言う訳では無いのです。
 それではどうして元旦を選んだのか、と言うと、それが旧暦だと立春に比較的近い日である、ということが大きいのでしょう。
 確か、アンデルセンだったと思いますが、ヨーロッパの小説で小鳥たちが
「新年が始まったというのに、全然なにも良くなっていないじゃないか!」
「それはだな、人間たちが勝手に作ったカレンダーと言うものでの新年だからだ、本当の新年はコウノトリが来る頃(春)に始まるんだよ。」
と会話する場面があったと記憶します。コウノトリと言えば、赤ちゃんを運んでくれる存在でもありますね。
 西洋にも日本にも似たような思想があるのであり、数え年はそれを明確にした点で、日本人らしい(中国や韓国も使っていると思いますが)素晴らしい表現だと思います。
 国民の誕生日も国家の誕生日も新春にお祝いする、それは、科学的にはやや不正確なところはあったのかもしれませんが、日本人の大切な感性を反映した、文化であったのです。
 満年齢と数え年とが併用されるようになると、赤ちゃんのいのちを守る運動にも良い影響を与えるかもしれませんね。

『とある科学の超電磁砲』で感じた「流産児症候群」

 タイトルだけを見ると私の好きなアニメの話をするようですが、心理学の話が絡みます。私はヒットしたアニメや映画の理由を心理学的に考察する趣味があります。

 私は大学でアナル学派の教授から「心性史」というジャンルがあることを学びました。体系化された思想や宗教ではなく、もっと日常的な人々の思考様式や感覚の歴史を研究する分野です。

 先日、アナル学派の古典的作品の一つである『魔女とシャリヴァリ』という論文集を読みましたが、限られた資料の中から教会での神父による説教が民衆の間で「悪魔への恐れ」と変わっていく過程を論証するなど、中々興味深いもので感想はいずれこのブログに書かせていただきます。

 さて、心性史の研究をすると、例えば魔女狩りについて「集団ヒステリー」みたいな言葉を使う方も世の中にはおられます。「集団心理」とか「群集心理」とか言った言葉は今の政治学社会学でもしばしば用いられます。

 私は心理学の専門家ではありませんが、心理学ではしばしば「集合的無意識」や「家族的無意識」と言った、一見オカルト的な概念を使っています。

 私が最初「家族的無意識」と聞いたときは「は?無意識が遺伝するとでも?そんな訳ないだろ。」と思っていましたが、実は最近、遺伝学の分野でも「記憶の遺伝」が研究されています。

 その一例が「恐怖の記憶が遺伝する」というマウスでの実験です。

www.afpbb.com

 多くの人がこのニュースを聞いたときに「フェイクニュース」を疑ったと思います。『ネイチャー』みたいな権威ある学術雑誌がこんなのを掲載してよいのか、と私も思ったものです。

 しかしながら、あれから5年近くたち、この研究はかなり進み「後天的形質が遺伝する可能性」があることは学術的にも認められるようになりました。

 なので「無意識の遺伝」があっても可笑しくはありません。ただ、マウスでの実験は可能でも、人間でそれを証明しようとすると非人道的な人体実験になってしまいますので、「家族的無意識」の解明にはかなり時間がかかることでしょう。

 ちなみに、家族的無意識を提唱したレオポルド・ソンディ(文学者のペーター・ソンディの父)は心理テストの権威で、世界で最も権威があるとされる『ブリタニカ国際百科事典』によるとこう言う人です。

[生]1893.3.11. ニトラ
[没]1986.1.24. チューリヒ
オーストリア=ハンガリー帝国生れの精神分析医。主としてスイスで活躍した。ユダヤ人の靴屋の息子として生れ,ブダペスト大学に学ぶ。遺伝子研究に興味をもち,結婚相手の選択には劣性遺伝子が影響するという無意識の遺伝子学説を唱えた。 1939年,8枚1組の顔写真を選択させ,その結果によってパーソナリティを診断する「ソンディテスト」を発表。第2次世界大戦中は迫害を受け自宅で研究を続けるが,44年ベルゲン・ベルゼン収容所に強制収容された。戦後は「家族的無意識 (必然運命) 」の理論に基づく運命心理学を提唱し,58年国際運命心理学会を設立した。主著『実験衝動診断法,ソンディテスト』 Lehrbuch der Expellimentellen Triebdiagnostik (1947) ,『運命への挑戦-運命心理学論集』 Schicksalsanalytische Therapie (63)

kotobank.jp

 さて、こうした話を踏まえると、人気のアニメには人々が無意識に求めている者が反映されている、と考えることができるでしょう。特に、「ナゼかヒットしているアニメ」にはいわゆる集合的無意識が関与していると言えます。

 例えば、私の好きな『とある科学の超電磁砲』は『とある魔術の禁書目録』の「外伝」なのに、本編以上の大人気です。

 実は私は流行に乗るのが嫌いで、『とある魔術』は「まぁ、昔流行っていた奴を一度は見てみようか」という感じで見ていました。すると、私自身が外伝の「とある科学」の方に嵌ってしまいました。(笑)

 『とある科学』の人気の根強さは、第一期が放送されてから十年以上たった昨年にも第三期がアニメ化されたこと、それどころか、第一期の主題歌が今でもカラオケの人気曲ランキングに出ていることにも表れています。

 この「本編以上の人気」と言うのは、通常はあまり無いことなのですが、現に起きているということは理由があるのです。

 真っ先に連想されるのが、『とある魔術』の主人公が上条当麻(男子高校生)なのに対して、『とある科学』の主人公が御坂美琴という、可愛い女子中学生であることですが、『とある魔術』が気持ち悪いほど巨乳キャラを乱造しているのですから、萌えキャラ好きなオタクの票が入った訳では無いことは確実です(むしろ御坂美琴はオタク好みの萌えキャラでは「無い」ように設定されている)

 それでは設定ですが、『とある科学』の舞台は、近未来の「学園都市」という科学技術が高度に発達し、なんと、超能力者を「科学的に」育成できるようになった地域です(ここまでは『とある魔術』と共通)

 学園都市には多くの学校が存在し、そこで教えられるのは「科学万能主義」。お守りを持っているだけで「非科学的」と言われるような有様です。

 主人公の御坂美琴自身、脳内に電極をぶち込んだり、薬物投与を受けたりして、学園都市に7人しかいないレベル5の超能力者になった人間。そんな環境で育ってますから「魂」と聞いただけで反射的に「オカルト」と言うぐらいの、生粋の唯物論者です。

 しかしながら、原作漫画ではその御坂美琴ら登場人物が唯物論的な学園都市の方針にどこかで疑問を持っている様子も描かれています。さらに『とある科学』の外伝である『アストラル・バディ』(『とある魔術』の外伝の外伝)では、まさに科学万能主義の登場人物がそれに疑問を抱くのがテーマで、一番最後の場面はなんと登場人物がお寺でお世話になった人のお墓参りに行き、心の安らぎを得るという結末です。

 アニメ版の『とある科学』ではそうした描写はかなり削減されているものの、それでも一端がうかがえます。

 例えば、このシーンです。

www.youtube.com

 これは、超能力者の不良少年を指導するために武装した教師(アンチスキル)が、胎児の姿をした「幻想猛獣」を攻撃する場面。

 この胎児は、学園都市の劣等生の負の感情が具現化したものと言う設定ですが、どうして胎児の形をしているのか、と言う説明は作中で一切ありません。恐らく作者も特に深いことは考えずにチョイスしたのでしょう。

 しかしながら、作者が「なんとなく」選んだものがヒットしたのですから、これには「集合的無意識」の働きを感じざるを得ません。

 日本優生思想研究所の所長で「いのちを守る親の会」理事長の大熊良樹先生によると、現在空前の大ヒットをしている『鬼滅の刃』でも、登場人物が胎児の形になって最期を迎える場面があるそうです。これにも「集合的無意識」の作用があるのでしょう。

 「科学万能主義」の教師たちが「赤ちゃん」を殺そうとする構図――私には、それが「唯物論教育」「生命軽視の教育」が人工妊娠中絶を増やして「堕胎天国」と呼ばれるようになった、戦後日本を象徴しているように感じます。

note.com

note.com

note.com

 また、劣等生の念が胎児の形をしたことについて、私が真っ先に連想したのが宝蔵神社で修行しているときに聞いた「流産児症候群」でした。

 宝蔵神社は日本で初めて無縁の水子を供養する「全国流産児無縁霊供養塔」が設置された神社です。檀家や信者の水子さんを供養するお寺や神社、宗教は珍しくありませんが、どうして「無縁」の水子さんまでもを供養するのか、というと戦後の一時期、人工流産児のいた家庭で子供の非行や浪費、引きこもりと言った事案が目立つようになったからです。

 宝蔵神社の楠本加美野前宮司はそれを「流産児症候群」として次のような症状を纏められました。

①大切な時期にやる気がなくなる

②暗いところが好きになる

③赤ちゃんや用事が好きなお菓子や牛乳をやたら欲しがる

④手足が水のように冷たい

⑤親に反抗する

⑥孤独で寂しそうにしている

⑦無駄な金を使うようになる

 これらは、言うまでも無く単独では流産児がいない場合も起こります。特に⑤は単なる「反抗期」の場合もあります。

 しかし、これらがすべて該当する人たちから家庭の事情を確認すると、人工流産児がいる家庭があまりにも多いのです。

 言うまでも無いことですが、こうした症状の出ている子供たちの多くは、まさか自分たちの親が(どんな事情があったにせよ)中絶をしているなど、思いにもよりません。中絶の事実すら知らないのに、例えば③みたいな幼児退行の症状を見せる訳です。

 これを心理学的に説明するとどうなるのか。「遺伝する心理」と言うものが関係しているのかも、知れません。

 中絶をする人は、多くの場合は(やむを得なかった場合を含めて)どこかで罪悪感を抱いています。少なくとも、我が子に「私は中絶をしたことがある」と自慢するような女性は、普通はいません(もしもいたら、精神状態が不幸な方ですね)

  そして、少なくない女性が「中絶後遺症」(PASS)と呼ばれる精神状態になります。宝蔵神社宮司の楠本加美野先生によると、これは潜在意識で中絶を後悔している女性による「自己処罰」であるそうです。

 

warai88waraikun.hatenadiary.jp

  「恐怖の記憶が遺伝する」というネズミでの研究結果も合わせると、潜在意識レベルでの母親の感情が子供に遺伝した、と言う可能性も、0とは言えないのです。

  『とある科学』に登場する不良少年たちも、その負の感情が「胎児」の形をして現れる点、どうも私には「流産児症候群」が背景にあるように思えてならないのです。

 

abema.tv

  無論、作者はそのようなことなど意識していないでしょうが、前述したとおり「特に意識せず」(無意識に)選んだのが「科学万能主義の教師たちが胎児を殺そうとし、返り討ちに遭う」という描写であるのは、とても興味深い話です。

  『とある科学』の外伝である『アストラル・バディ』の最終場面が「お墓参り」であることも考えると、科学万能主義への無意識レベルでの不信感が『とある科学』ブームの背景にあると考えてみるのも、決して無駄なことではないでしょう。

「同性婚と近親婚は違う!」という主張の何が問題なのか

 同性婚を巡る議論では「そもそも話が噛みあっていないな」と感じることが、何度かありました。例えば、西暦2013年のニュージーランド同性婚を認める『婚姻平等法』が成立した際、賛成側のモーリス・ウィリアムソン議員は次のように演説ました。

「今、私たちがやろうとしていることは『愛し合う二人の結婚を認めよう』。ただそれだけです。」

「お金のためでもない。単に、『愛し合う二人が結婚できるようにする』この法案の、どこが間違っているのか。だから、本当に理解できないんです。なんでこの法案に反対するのかが。」

 しかし、ウィリアムソン議員は肝心なことを忘れてしまっています。

 同性婚反対派はそもそも「愛し合っている」という理由だけで婚姻を認める、ということ自体に反対しているのです。

 現にいくら愛し合っていても近親婚は認められません。こういうと必ず「同性婚と近親婚は違う!」という人が出てくるのですが、ならば「『愛し合う二人の結婚を認めよう』。ただそれだけです。」という言葉は嘘だったのでしょうか?

 そうです。同性婚賛成派も「ただそれだけ」の主張をしている訳では、無いはずです。

 なのに「ただそれだけです」と言い切ってしまうから、問題が生じるのです。

 

近親婚が認められない理由は何か

 

 世の中には「同性婚には賛成だが、近親婚には反対」という方がいます。

 その方に「どうして『愛し合っている』のは同じなのに、同性婚と近親婚は違うの?」と聞くと次のような返答が返ってきました。

「近親婚だと奇形児が多いから。」

 この主張には、二つの大きな誤謬があります。

 第一に「奇形児は生まれてきてはダメ!」と言うのは、優生思想に基づく考えです。

 「同性愛者への差別には反対だが、優生思想に基づく差別には賛成」ということなのでしょうか?

 事実、最高裁判例では近親婚が認められない理由を「社会倫理的配慮及び優生学的配慮」であるとしており「合理性がある」となっています(平成19年3月8日「遺族厚生年金不支給処分取消請求事件」最高裁第一小法廷)。

 平成になっても最高裁が優生思想に「合理性がある」と言っているのは大問題ですが、ただ、ここで最高裁は「社会倫理的配慮」も上げていることには注意する必要があります。優生思想が否定されても判例が覆らないように、判決文は巧みに工夫されています。

 第二に、仮に「近親相姦だと奇形児が生まれるから、ダメ」と言うのであれば、禁止するべきは近親婚ではなく近親相姦のはずです。

 これは最高裁判例についてもいえることですが、そんなに優生思想を肯定するのであれば、どうして近親相姦は禁止されていないのでしょうか?

 いうまでもなく、多くの国民は優生思想に反対ですし、法律によって国民の性的自由を過度に縛るのは良くないから、近親相姦を禁止する法律はない訳です。

 しかしながら「セックスはしても良いけど、結婚はしたらダメ」と言うのは、変な話です。

 もっとも、このことがオカシイと思っている国民は少ないのかもしれません。

 我が国では結婚年齢が18歳である一方、性的同意年齢は13歳だからです。「中学生とセックスするのは良いけれども、結婚はしたらダメ」という、私からすると支離滅裂に見える法律があるわけですが、それへの反対運動は何故か盛り上がっていません。

 いずれにせよ、優生思想を根拠に近親婚と同性婚を分けるのは変な話であり、私は支持できません。

 

そもそも「婚姻」の定義が定まっていないことが問題

 

 そうすると、近親婚禁止の理由として注目されるのが「社会倫理的配慮」ということになります。

 この「社会倫理的配慮」と言うのも良く判りません。

 世間一般では「近親間で性行為をするのは別にいいけど、結婚だけはしたらダメ!」というような「社会倫理」が確立していたのでしょうか?そんな話、寡聞にして私は知らないですが。

 いずれにせよ、最高判例に基づくならば結婚は「愛し合っている」だけではダメで「社会倫理」とやらに配慮しなければならない、ということになってしまいます。

 同性婚で言うと、これまで同性婚が認められていなかった理由は「社会倫理」とやらが認めていなかったからであり、世論が変わって「社会倫理」が変われば同性婚も認められる、さらには遠い将来に同性婚を認めないという「社会倫理」になれば再び同性婚禁止が可能になる、ということになります。

 一体全体、その「社会倫理」とやらは何者なのか、何がそんなに偉いのかは判りませんけれども、最高裁判例が変更されない限り、私たちは「社会倫理」様に配慮した結婚しかしてはならぬ、ということです。

 どうしてこんなことになるのか。それは「婚姻」の定義が法律で定まっていないことが原因です。

 

結婚は何のためにするのか

 

 仮に「社会倫理」に従った婚姻しかしてはならないのだと「夫婦には性行為の義務がある」等という、ロマンティック・アセクシャルの婚姻を禁止するのか、とツッコみたくなる判例があるのも判ります。

 世間一般では「夫婦がセックスをするのは当たり前」という「社会倫理」とやらがあるからこそ、夫婦に性行為の義務がある、ということになるのでしょう。

 しかしながら、私たちは「社会倫理」のために婚姻をするのでしょうか?

 そんなことはありません。無論、夫婦というと社会的にも特別扱いを受けることはありますから、結婚に公の要素が皆無ということはありませんが、結婚の理由の多くはもっとプライベートなものであるはずです。

 とは言っても、今の法律では「婚姻とは?」ということが明確になっていません。婚姻の目的は人によって違う訳です。

 私はそれこそが混乱の原因であると考えています。

 本来、婚姻とは「家族になる行為」の一つです。ところが、戦後GHQ占領政策によって家制度が廃止されてしまい、「家族とは何か?」の定義が曖昧になってしまいました。結果、婚姻制度についても曖昧なまま今に至ります。

 現行の戸籍制度は、家制度復活派と家制度廃止派との妥協の産物であり、ハッキリ言って「帯に短し襷に長し」と言う状態です。

 家制度復活派にとっては「結婚=入籍」ですが、今の婚姻制度では原則として「入籍」は出来ません。

 一方、家制度廃止派にとってそもそも戸籍制度は面倒なだけです。今の時代、多くの手続きでは身分証明に戸籍ではなく住民票を用いますし、事実婚と戸籍婚の差異も減りつつあります。

 同性婚や近親婚について考える前に、この問題について決着をつける必要があります。

<続きはnote記事をご覧ください。>